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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

大泊表忠碑

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年2月29日 (土)

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大泊表忠碑
大泊表忠碑の前で行われた1927年(昭和2年)の招魂祭

大泊表忠碑は樺太庁大泊支庁大泊郡大泊町楠渓町にあった忠魂碑。のちの樺太護国神社の淵源に位置づけられる。

歴史

大泊表忠碑
表忠碑は神楽岡の北にあった

日露戦争の樺太最大の激戦地だった大泊に「大泊表忠碑」建立。各地に仮埋葬されていた遺骨や遺灰を合葬した。1908年(明治41年)1月8日、樺太守備隊司令官楠瀬中将の命で、黒住教樺太出派布教師の権訓導伴雄三郎(のち豊原神社社司として樺太招魂社を管理する)が斎主となり除幕式と招魂祭を行った(1907年(明治40年)10月起工し、1908年(明治41年)11月に竣工したとも)。石造の台座の上に、鹵獲したロシア軍艦「ノーウィック」の砲身を垂直に立てた。独立第13師団の戦没者51柱(81柱とも)を祀る。1925年(大正14年)には皇太子時代の昭和天皇が「会釈」したという。 (『樺太忠魂史』『樺太の神社』)

大泊表忠碑
大泊表忠碑
改葬が行われる前の墓地で行われた1907年(明治40年)7月12日の招魂祭
大泊表忠碑に合葬される前の墓地の配置図
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%A4%A7%E6%B3%8A%E8%A1%A8%E5%BF%A0%E7%A2%91」より作成

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