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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

大神神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年7月24日 (水)

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大神神社
おおみわ じんじゃ
Oomiwa-jinja (1).jpg田園風景の中にそびえる大鳥居
概要 三輪神社の総本社。
奉斎 倭大物主櫛〓玉命
(土岐昌訓論文)
所在地 奈良県桜井市三輪1422
所在地(旧国郡) 大和国式上郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 式内社名神大社正一位勲二等大和国一宮二十二社朱印地拝領神社官幣大社別表神社
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目次

概要

大神神社(おおみわ・じんじゃ)は、奈良県桜井市の三輪山麓にある、三輪信仰の総本社。本殿がない神社として知られる。摂社にも元伊勢檜原神社狭井神社率川神社など重要な神社が多い。式内社名神大社正一位勲二等大和国一宮二十二社朱印地拝領神社官幣大社別表神社。神宮寺として大和・平等寺大御輪寺があり、中世には神仏習合の三輪神道の拠点となった。大神神社関連旧跡も参照。(参考:同名神社大神神社_(同名)

歴史

境内

組織

大宮司・宮司

代数 名前 生没 在職 略歴
1 久保季茲 1830-1886 1873-1874 幕末維新期の国学者。1830年(天保1年)5月12日、江戸生まれ。代々幕府の医師だったが、母が神道を深く尊崇し、その影響で国学を志す。勤皇の志士として活動するが、大政奉還後は隠遁。1868年(明治1年)12月、神祇官書記。大学大助教、宣教中博士を経て教部省出仕。1873年(明治6年)3月4日大神神社大宮司、中教正となる。大神神社に本殿を立てる案もある中、「御諸山一山を社地と相定むる(明治天皇の)旨」を仰いだという(『大神神社史料』略歴の記述では久保がどういう見解を持っていたのかは不透明)。1874年(明治7年)11月28日、依願退職。宮内省出仕。皇典講究所で教える。1886年(明治19年)3月5日死去。享年57歳。墓所は谷中霊園にあり、「杉舎久保季茲大人碑」がある。子は日枝神社宮司の久保悳鄰。著書は『大三輪三社鎮座次第』(校合)、『大神神社御由来略記』『祝詞略解』『古道集語』『神武天皇紀講義』『大日本史補』『古語拾遺講義』『神徳略述頌』『三種神宝論』『稜威口語』『万葉山常百解』『洋教弁略』など。(『大神神社史料』ほか)
2 桜井忠興 1848-1895 1875-1877 幕末維新期の尼崎藩主桜井家の当主。日本赤十字社の創設者。華族・子爵。貴族院議員。松平忠興とも。1848年(嘉永1年)1月8日、江戸鉄砲洲の尼崎藩邸で生まれる。松平忠栄の七男。1861年(文久1年)、14歳で継承。維新後、桜井家を名乗り、華族。1869年(明治2年)6月20日、尼崎藩知事。1871年(明治4年)、藩知事罷免。1874年(明治7年)7月9日、教導職大講義。翌年1月15日大神神社大宮司兼権少教正。神社へは大名行列をなして赴任したという。在職中、茅原西村邸に住んだ。1875年(明治8年)4月22日、狭井神社再興造営を出願。1877年(明治10年)6月16日、依願退職。西南戦争の最中、佐野常民と共に日本赤十字社の前身である博愛社を創設。明治28年4月29日死去。48歳。墓所は菩提寺の尼崎市の浄土宗深正院。(『大神神社史料』『日本人名辞典』ほか)
3 古川躬行 1810-1883 1877-1879 幕末維新期の国学者。1878年(明治11年)4月、狭井神社拝殿再建を出願し、実現。同年5月29日、狭井神社正遷宮に奉仕。(略歴は、枚岡神社#組織を参照)
4 渡辺玄包 1833-1905 1879-1881 幕末から明治前期の国学者。志士。1833年(天保4年)1月5日生まれ。徳山藩士。山口県周南市の山崎八幡宮の祠官を代々務めた。徳山で黒神直民に学び、京都で大国隆正に学ぶ。1869年(明治2年)12月4日、宣教権少博士。翌年5月24日、宣教少博士。7月4日、権中博士となり従七位。12月25日免官となり、神祇官出仕。1872年(明治5年)3月14日位記返上。6月8日、教導職中講義。7月27日、十等出仕となり新潟勤務を命じられる。1873年(明治6年)11月13日権大講義。28日教部中録。1875年(明治8年)1月15日、長崎出張。7月28日、司法省三級判事補となり、佐賀裁判所勤務を命じられる。三潴裁判所、長崎裁判所佐賀支庁などを経て、1877年(明治10年)12月20日、依願免官。翌年2月1日、内務省御用掛となり、社寺局事務取扱となる。1879年(明治12年)4月4日、大神神社宮司。5月10日、権少教正。8月26日、率川神社の管轄について春日大社から大神神社に復古するように建白。11月24日実現。12月2日、率川神社の受け渡しを経て10日に臨時祭典。12月18日、正七位。1880年(明治13年)4月7日、少教正。1881年(明治14年)12月9日、依願免官。1883年(明治16年)4月10日、司法省御用掛。弟子に道徳科学の創始者広池千九郎がいる。墓は故郷にある。『菅処歌集』。(『大神神社史料』、欠端実 「渡辺玄包と廣池千九郎」ほか)
5 坂田莠 1830-1891 1881-1883 明治前期の内務官僚・神職。(略歴は、都農神社#組織を参照)
6 松原貴速 1831-? 1883-1886 明治前期の内務官僚・神職。(略歴は、広瀬神社#組織を参照)
7 本山茂任 1826-1887 1886-1887 高知藩出身の志士。内務官僚・神職。(略歴は、白峰神宮#組織を参照)
8 松岡利紀 1844-1907 1887-1888 明治前期の神職。(略歴は、気多大社#組織を参照)
9 池田昇 1825- 1888-1892
10 斎藤美澄 1857-1915 1892-1893 『大和志料』を編纂。
11 岡部譲 1849-1937 1893-1894 国学者。賀茂真淵の子孫。(略歴は、伏見稲荷大社#組織を参照)
12 東吉貞 1846- 1894-1906
13 西内成郷 1855-1911 1906-1911 橿原神宮宮司兼務。(略歴は、橿原神宮#組織を参照)
14 桑原芳樹 1861-1943 1911-1912 橿原神宮宮司兼務。(略歴は、熱田神宮#組織を参照)
15 山下政愛 1832-1924 1912-1921 鹿児島県出身の神職。(略歴は、龍田大社#組織を参照)
16 目黒和三郎 1865-1923 1921-1923 (略歴は、大山阿夫利神社#組織を参照)
17 吉村清享 1873-? 1924-1926 山口県出身の神職。津島神社宮司に転任。経歴不詳。 『春祝 賀茂百樹大人還暦祝詞集』
18 高橋万次郎 1877-? 1926-1930 枚岡神社宮司。護王神社宮司。平野神社宮司。大神神社宮司。
19 遠山正雄 1877-? 1930-1933 出羽神社宮司。
20 田上豊策 1882-? 1933-1938
21 加藤七郎 1885-1947 1938-1947
22 高宮信房 1903-1950 1947-1950
23 中山和敬 1905-1995 1950-1983
24 藤田勝重 1911-1996 1983-
鈴木寛治 1944- 2000-

少宮司・権宮司

  • 井上頼国(1839-1914):幕末明治の国学者。天保10年2月18日生まれ。江戸出身。平田鉄胤、権田直助に学ぶ。維新後、明治2年、皇漢医道御用掛。明治4年神習舎を開き、蔵書は神習文庫として伝わる。教部省出仕。明治8年、大神神社少宮司。皇典講究所設立に関わる。大正3年7月4日死去。墓所は青山霊園。『後宮制度沿革考』など。

画像

参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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