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大野招魂社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年8月26日 (月)
大野招魂社(おおの・しょうこんしゃ)は福井県大野市篠座にある招魂社。篠座神社内。官祭招魂社。指定外護国神社。大野護国神社、篠坐招魂社とも。
目次 |
歴史
- 1868年9月25日:大野藩軍、大野を出発(箱館戦争と大野藩)
- 10/12秋田湊に到着(箱館戦争と大野藩)
- 10/20箱館到着(箱館戦争と大野藩)
- 10/25青森到着(箱館戦争と大野藩)
- 1869年4月8日:乙部到着(箱館戦争と大野藩)
- 5/21:箱館大森浜で招魂祭(箱館戦争と大野藩)
- 5/23:日蓮宗実行寺の僧侶を招いて追悼法要。戦死者に法号を付ける。(箱館戦争と大野藩)[1]
- 5/25:箱館を出港(箱館戦争と大野藩)
- 5/29東京着(箱館戦争と大野藩)
- 6/8東京発(箱館戦争と大野藩)
- 6/23大野凱旋。善導寺廟所に参拝(箱館戦争と大野藩)
- 7/13大野藩掌政局、戦死者遺族に恩賞(箱館戦争と大野藩)
- 1869年8月9日:演武場で招魂祭。斎主は篠座神社の神主。(箱館戦争と大野藩)祝詞[2]
- 1869年8月:戦死碑文が完成。(箱館戦争と大野藩)碑文[3]
- 1869年10月:花山(大野市下丁)に戦死碑を建立(箱館戦争と大野藩、福井県大野郡誌[4])
- 1870年9月:祠を建立(靖国神社誌、靖国神社百年史。『箱館戦争と大野藩』では月なし)
- 1873年4月15日:篠座神社境内の東北隅に遷座(箱館戦争と大野藩、福井県神社誌)
- 1875年(明治8年)4月24日:官祭招魂社・官修墳墓制度、始まる(ただし「官祭招魂社」「官修墳墓」の呼称はまだない)。
- 1878年:明治天皇北陸巡幸にあたり祭祀料下賜(箱館戦争と大野藩)
- 1899年:篠座神社境内の西北部に遷座(箱館戦争と大野藩)
- 1900年:石碑を再建(箱館戦争と大野藩)
- 1901年(明治34年)6月14日:官祭招魂社制度・官修墳墓制度が本格的に制定。
- 1906年:菊花紋章許可(箱館戦争と大野藩)
- 1939年(昭和14年)3月:護国神社制度の施行と共に大野護国神社と改称。
- 2017年頃:篠座神社の境内整備にともない、境内の西南に遷座。覆屋を建立
祭神
最初の祭神。1918『箱館戦争と大野藩』[5]より。1911年(明治44年)『靖国神社誌』[6]でも11柱とある。
- 1岡鍛:檜山護国神社祭神。江差官修墳墓に埋葬。函館官修墳墓に墓碑。
- 2長瀬喜和馬:泉沢に埋葬。函館官修墳墓に墓碑。
- 3鷹見政雄:泉沢に埋葬。高見政雄。函館官修墳墓に墓碑。
- 4寺田竹次郎:泉沢に埋葬。函館官修墳墓に墓碑。
- 5三宅友七:大野に埋葬。北海道大野官修墳墓、函館官修墳墓に墓碑。
- 6金子庫二郎:金子庫次郎。北海道大野官修墳墓に埋葬。函館官修墳墓に墓碑。
- 7和田実之助:泉沢に埋葬。函館官修墳墓に墓碑。
- 8広木次左衛門:広木治左衛門。泉沢に埋葬。函館官修墳墓に墓碑。
- 9渡辺忠蔵:埋葬不明。木古内に埋葬とも。函館官修墳墓に墓碑。
- 10山本太三郎:埋葬不明。木古内に埋葬とも。函館官修墳墓に墓碑。
- 11吉田留五郎:青森に埋葬。柳町官修墳墓、函館官修墳墓に墓碑。