ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。
歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

天地院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年12月30日 (土)

移動: 案内, 検索

天地院(てんちいん)は、大和国添上郡(奈良県奈良市)の春日山にあった古代寺院東大寺の前身寺院の一つとされ、現在の二月堂の奥の山上にあったと考えられている。山岳信仰・修験道の行場として鎌倉時代末期頃まで存続したらしい。東大寺関連旧跡も参照。法蓮寺ともいう。(参考:同名寺院法蓮寺

歴史

『東大寺要録』によると、行基が山中に和銅元年(708)2月10日に建て始め、翌年3月5日に落慶したという。天喜元年(1053)9月に焼失。康平5年(1062)1月、金剛手菩薩を祀ったという。 鎌倉時代末期まで千手堂があった。東大寺四月堂の千手観音は天地院千手堂の旧本尊ともいうがはっきりしない。近世初期の「寺中寺外惣絵図」によると、かつて千手堂を中心に、東に東室・文殊堂・塔・弁才天社・拝殿、南には南室・夏屋、北には八講堂・北室・西大門などがあったことを示すが、江戸時代にはほとんどは廃絶していたらしい。

法華堂中門堂の堂衆が千日不断花会・当行と称して天地院周辺の山中に入峰していた。千手堂の東にあった金剛童子社と閼伽井はその終着地点だったという。

近世の伝承として石淵寺の僧が天地院の稚児を殺して自害したのを機に合戦となり、互いに火を放ち、両寺とも廃絶したともいう。 跡地の発掘は行われていないが、奈良国立文化財研究所が実測調査し、跡地らしき平坦地を山中に発見している(丸山西遺跡)。

道明寺天満宮に康元2年(1257)銘の天地院の石燈籠が伝わっている。

文献

  • 『日本歴史地名大系』
  • 奈良国立文化財研究所1967「東大寺山堺四至図について」『奈良国立文化財研究所年報』[1]
  • 吉田靖雄1990「東大寺天地院の創立と行基」『日本仏教史学』24
  • 吉川真司「東大寺の古層」『南都仏教』78
  • 高橋照彦2003「東大寺前身寺院に関する試論」『鹿園雜集 奈良国立博物館研究紀要』5[2]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%A4%A9%E5%9C%B0%E9%99%A2」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール