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天壇

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年2月12日 (土)

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天壇(てんだん)とは皇帝が天帝を祀る祭壇である。天帝を祀るのは天子である皇帝にのみ許された行為であり、天壇は自らが天帝から承認された世界に唯一無二の支配者であることを表明する施設であった。各王朝ごとに天壇が作られた。漢代の泰畤が起源ともいう。地壇と対をなす。圜丘壇円丘壇南郊南壇郊祀壇などとも呼ばれた。日本では臨時に郊祀が行われた記録はあるが、恒久的な施設は作られなかった。


起源

天地壇の起源は、前漢にある。元鼎4年(前113)汾陰に后土祠、元鼎5年(前112)甘泉に泰畤を設けた。后土祠については周王朝の鼎が泗水に沈んでいたが、黄河の洪水で泗水と黄河が通じ、汾陰に流されていたという伝説があった。その後、前漢の丞相匡衡が天地壇の建立を建始元年(前32)に提言。のち王莽の時代に元始5年(西暦5)に定着した。南北に天壇と地壇が建てられた。王莽のクーデターをはさみ、後漢の建武2年(26)、光武帝が洛陽の南7里に天壇を祀った。建武中元2年(57)までは天壇に地壇も合祀されていた。この後漢の天壇には日月北斗、五星、五岳、二十八宿、雷公、先農、風伯、雨師、四海、四涜、名山、大川など1514神も祀られていた。

一覧

参考文献

  • 『東洋文庫 漢書郊祀志』解説
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%A4%A9%E5%A3%87」より作成

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