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天理教教会本部神殿
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年3月20日 (水)
天理教教会本部神殿は、奈良県天理市にある天理教教会本部の神殿。親神とも呼ばれる天理王命(てんりおうのみこと)を祀る。人類発祥地とされるおぢばの直上にある。 神殿の中心にはかんろだいが据えられている。祭典の時にはかぐらづとめが行われる。 神殿は「四方正面」とされ、東西南北に礼拝場が設けられている。教祖殿や祖霊殿と回廊でつながっている。
目次 |
歴史
教祖時代
- 1838年(天保9年)10月26日、天理王命は、陽気ぐらしを人間に伝えるため、中山みきの身体を「神のやしろ」と定めて降臨。世界たすけの教えを説いた。
- 1864年(元治1年)9月13日:つとめ場所、手斧始め。
- 1864年(元治1年)10月26日:つとめ場所、棟上げ
- 1864年(元治1年)12月中旬:つとめ場所、落成。北の上段の間の北側に南面して神床が設けられた。
- 1873年(明治6年):中山みき、飯降伊蔵に命じて簡素なかんろだいの模型を作成。
- 1875年(明治8年)6月29日:ぢば定め。
- 1881年(明治14年)5月5日:滝本村の山でかんろだいの石見
- 1881年(明治14年)5月上旬:かんろだいの石出し
- 1881年(明治14年)9月下旬:かんろだい2段目までできる
- 1882年(明治15年)5月12日:かんろだいの石、奈良警察署長の上村行業に没収される
- 1882年(明治15年)6月1日:泥酔の警官が乱暴。お社、祖先霊璽を焼く
- 1887年(明治20年)2月18日:中山みき死去。
明治の造営
- 1888年(明治21年)7月24日:神殿を建築開始?。
- 1888年(明治21年)10日:神殿落成。
- 1888年(明治21年)11月28日:鎮座祭。つとめ場所に拡張増築する形で、かんろだい(板張り)を屋内に取り入れた。神殿の南側に北面して神床が設けられた。
- 1888年(明治21年)11月29日:神道直轄天理教会本部開筵式
- 1888年(明治21年)11月30日:秋季大祭
大正普請
- 1906年(明治39年)5月28:神殿ふしんにつき、おさしづ。
- 1908年(明治41年)11月27日:天理教、一派独立認可。
- 1909年(明治42年)2月19日:独立奉告祭。
- 1910年(明治43年)5月28日:仮神殿手斧はじめ
- 1911年(明治44年)4月24日:仮神殿(現会議所)に遷座。親神、教祖、祖霊を奉遷。大正普請の始まり。25日遷座奉告祭。
- 1911年(明治44年)5月:つとめ場所を鑵子山に移築。神殿用地の整地作業。
- 1911年(明治44年)10月27日:起工式
- 1911年(明治44年)11日:地盤工事
- 1912年(大正1年)6月1日:かんろだい地搗き
- 1912年(大正1年)10月8日:立柱
- 1912年(大正1年)11月28日:上棟式
- 1913年(大正2年)12月25日:神殿と北礼拝場(教堂とも。現存)が竣工
- 1914年(大正3年)4月24日:教祖殿(現祖霊殿)遷座。祖霊殿(現豊田山舎)竣工。神殿の遷座祭も4月らしい([1])。
- 1914年(大正3年)8月27日:祖霊殿に一般教信徒の霊を合祀
- 1915年(大正4年)4月25日:神殿新築落成奉告祭。神殿の南側に北面して神床が設けられた。
昭和普請
- 1930年(昭和5年)10日:教祖50年祭立教100年祭にむけて神殿と教祖殿の改築の方針を掲げる。
- 1931年(昭和6年)1日:建築委員会、設置。
- 1931年(昭和6年)6月26日:神殿・教祖殿起工。
- 1932年(昭和7年)9月26日:教祖殿・御用場上棟式
- 1933年(昭和8年)8月26日:礼拝殿・立柱式
- 1933年(昭和8年)10月24日:教祖遷座祭。25日新築落成奉告祭。26日親様、仮神殿に遷座
- 1934年(昭和9年)2月20日:新築祖霊殿に遷座
- 1934年(昭和9年)3月26日:神殿・礼拝場の上棟式
- 1934年(昭和9年)10月15日:雛形かんろだいを据える。
- 1934年(昭和9年)10月24日:神殿遷座祭。神床は撤廃される。
- 1934年(昭和9年)10月25日:神殿と南礼拝場の増築落成奉告祭
- 1934年(昭和9年)12日:新築の教務支庁や教会の神殿はおぢばを向いて拝礼できるように建築することを決定。イスラム教のモスクにならった可能性が指摘されている。
戦後
- 1951年(昭和26年)4月17日:雛形かんろだい据え替え
- 1953年(昭和28年)4月18日:おやさとやかた計画を発表。
- 1954年(昭和29年)4月26日:おやさとやかた起工式
- 1964年(昭和39年)8月24日:雛形かんろだい据え替え
- 1964年(昭和39年):この年、祖霊殿移転
- 1975年(昭和50年)5月24日:雛形かんろだい据え替え
- 1976年(昭和51年)9月2日:北礼拝場放火
- 1977年(昭和52年)10月26日:教祖100年祭(1986年)にむけて東西礼拝場の建設を発表
- 1978年(昭和53年)3月26日:東西礼拝場ふしん委員会設置。
- 1981年(昭和56年):西礼拝場竣工
- 1984年(昭和59年):東礼拝場竣工。四方正面が実現。設計施工は竹中工務店。
- 1984年(昭和59年)10月24日:雛形かんろだい据え替え。
- 1988年(昭和63年):天理・三島神社、遷座。
- 2000年(平成12年)6月26日:雛形かんろだい転倒。
- 2000年(平成12年)7月24日:雛形かんろだい据え替え。
- 2015年(平成27年)10月24日:雛形かんろだい据え替え。
- 2017年(平成29年)7月26日:雛形かんろだい転倒。
- 2017年(平成29年)8月24日:雛形かんろだい据え替え。
祭典
年に2度の大祭があり、中山みきが死去した1月26日に春季大祭、天理王命が出現した10月26日に秋季大祭が行われる。また1月1日に元旦祭、4月18日に教祖誕生祭、毎月26日に月次祭がある他、毎日の朝づとめ、夕づとめが行われる。
歴代社殿
- つとめ場所:1864年(元治1年)~1888年(明治21年):記念建物として保存されている。
- 初代神殿:1888年(明治21年)~1911年(明治44年):つとめ場所に隣接拡張する形で建築。かんろだいを取り込んだ。記念建物として保存されている。
- 仮神殿:1911年(明治44年)~1914年(大正3年)頃:現会議所らしい。
- 二代神殿:1914年(大正3年)頃~1933年(昭和8年):解体
- 仮神殿:1933年(昭和8年)~1934年(昭和9年):神殿の東に設けられた。
- 3代神殿:1934年(昭和9年)~現在:かんろだいを中心とする「真座」を設けて神床(社と神鏡)を撤廃。ただし竣功に際して遷座祭は行われている。
社殿
- 北礼拝場:1913年(大正2年)竣工。
- 南礼拝場:1934年(昭和9年)竣工。
- 東西礼拝場:1984年(昭和59年)竣工。
かんろだい
沿革
1873年(明治6年)、教祖が飯降伊蔵に命じて、かんろだいの雛型を製作。高さ約6尺、直径約3寸の六角の棒の上下に、直径約1尺2寸、厚さ約3寸の六角板が付いたもの。1875年(明治8年)、ぢば定めの後、元のぢばに据えられ、礼拝の目標(めど)となった。1881年(明治14年)5月、屋敷の東方の滝本村から石材を運び、石普請。しかし、2段目までできたところで、石工が逃亡。翌年の5月12日に奈良警察署の上村行業らが没収した。その後、小石が積まれていた。1888年(明治21年)、教会本部の神殿建設で、板張り模型が二段据えられた。1934年(昭和9年)10月15日南礼拝殿落成にあたり、木造かんろだいが据えられた。(天理教事典)
据え替え
- 1951年(昭和26年)4月17日(天理教事典年表)
- 1964年(昭和39年)8月24日(天理教事典年表)
- 1975年(昭和50年)5月24日(天理教事典年表)
- 1984年(昭和59年)10月24日(天理教少年会ウェブサイト)
- 2000年(平成12年)7月24日(天理教少年会ウェブサイト
- 2015年(平成27年)10月24日(天理教ウェブサイト)
- 2017年(平成29年)8月24日(天理教ウェブサイト)
画像
参考文献
- 1970『おやしき・史跡案内』