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妙見信仰

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年2月24日 (金)

妙見菩薩から転送)
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妙見信仰


目次

概要

歴史

妙見信仰の起源

古代

  • 日本霊異記
  • 空海と妙見信仰
  • 天台宗と尊星王法
  • 琳聖太子と妙見信仰
  • 北辰祭
  • 源満仲

中世

坂東八平氏の妙見信仰

  • 平将門と平良文
  • 大宮妙見の成立
  • 千葉氏の崇敬
  • 相馬氏の崇敬

日蓮宗の妙見信仰

  • 日蓮と妙見信仰
  • 日蓮宗寺院の鎮守

大内氏の妙見信仰

近世

  • 能勢妙見の改宗

近代

  • 神仏分離の影響を被る。

信仰

妙見菩薩

妙見菩薩北極星北斗七星を神格化した尊格である。菩薩という名であるが、菩薩部ではなく天部の仏尊とされる[1]尊星王北辰菩薩北辰尊星妙見菩薩などともいう。一説にはサンスクリット名をスダルシュチ(蘇浬哩悉〓)という。妙見の名は「その眼睛最も清澄なるが故に、随って能く物を視ることが出来、善悪を記録したまふ」ことから来ているという。

虚空蔵菩薩吉祥天などと同一視されることもある。特に虚空蔵菩薩は、妙見菩薩と同様に星の信仰に由来する明星天子と習合したことから、妙見信仰と密接な関係にある。

妙見菩薩の性格はいくつかあるが、本質は星神としての性格であるといえる。そもそもが北辰の神格化したものである。一般的に仏教の尊格の一つとされるが、仏教的背景よりも道教的伝統に根付くものであると考えられる。

星の配置と星の動きは社会の仕組みや運命と相関関係にあるとする中国の思想に端を発し、なかでも、天空の中心にあってその位置が動かない北極星は宇宙の中心として、中国の最高神の天帝と同一視された。あるいは北の方角を司る玄武神と同一視された。あるいは妙見菩薩そのものの起源が玄武神という説もある。

妙見菩薩の眷属をとするのは、妙見菩薩が玄武神と同一視されたためと思われる。玄武神は亀の周りを蛇が取り付いている神獣である。妙見菩薩像が亀や龍に乗っているのはこれによる。また妙見宮には亀の石造物が奉納されていることがある。八代妙見の八代妙見祭では亀蛇(きだ)と呼ばれる亀の形をした出し物が出されることで有名である。

一部では鷲を眷属とするところや馬を眷属するところもある。馬を眷属とするのは相馬妙見であるが、野馬追神事などによる歴史的つながりに由来するものだろう。

妙見菩薩の影向においては、星の降臨として語られることが多い。星田妙見下松妙見が代表である。その星の遺跡として岩や石が祀られることもある。妙見菩薩は剣を持っている図像が多いが、八代妙見には四寅剣という剣が神宝として伝わっている。七星剣と呼ばれるように、北斗七星に縁のある剣が各地に伝えられるが、星の信仰と剣は関わるものなのかもしれない。

武神としての性格は歴史的に登場し、称揚されてきたものだと思われる。すなわち、平将門が信仰したという伝説の普及や坂東八平氏が妙見菩薩を守護神とし、武運長久を願って勢力を拡大してきたことに由来すると思われる。従来、観音菩薩のような装束を着ていた妙見菩薩が甲冑を着た武将姿への変化したこととも関連があるだろう。

神木としては松が目立つ。下松妙見の「鼎の松」はその代表である。ほかにも柳島妙見にも見られる。いずれも妙見菩薩が影向した神木とされる。

儀礼としては密教儀礼の尊星王法が知られている。これは天台宗寺門派の四大修法の一つとされる。北斗法というのもある。

能勢妙見法輪寺など、いくつかの妙見宮では4月15日を妙見の縁日とし、祭事を行なっている。

図像

いくつかのモチーフがあるが、おおまかに言って、観音菩薩のような荘厳な装束を着用し、柔和な表情を見せるもの、天部のような甲冑を着用する武将形のものとに分類されるだろう。騎獣は亀や龍が普通であるが長国寺では鷲としているという。

前者においては、二臂、四臂の二種類がある。二臂のものは『覚禅抄』に引く『尊星王軌』によるもので、天衣瓔珞をもってその身を荘厳し、五色の雲の中に結跏趺坐をして、右手は説法印、左手は蓮華を持つものである。『阿婆縛抄』では金色となし、右手に宝杖を持ち、左手は跏趺の上に置き、杖の末端を受けて、蓮華座に座している。『十巻抄』では左手に如意宝珠、右手は与願印とする像が京都霊巌寺にあるとしている。 四臂のものは、『覚禅抄』に引く「北辰別行法」に基づくものである。『阿婆縛抄』『十巻抄』によると、第一右手には筆、第二右手には月輪、第一左手には紀籍、第二左手には日輪を持ち、青龍の上に立つという。三井寺法明院に伝わる尊星王像はこの図様に近い。

武将形のものでは、本門寺型と呼ばれるものと、能勢妙見型と呼ばれるものに別れる。

本門寺型では後輪を背負い、直立で亀の上に立ち、両手で剣を下に突き立てている。池上本門寺の妙見菩薩がこの形という。能勢妙見型は、右手に剣を持って、頭上に掲げ、左手は宝珠を持つかあるいは剣印を結ぶ。背中には後輪がある。岩の上に座している。

そのほか、俗形束帯のもの[2]や童子[3]、童女のものがあるという。武将型のものでも童子のような顔をしているものもある。

またこれらとは別に、唐服をまとい、日輪を背負い、腰をかけている三尊の像があるが、これは鎮宅霊符神の図像とされる。

現存最古の妙見像は法輪寺の妙見像で、聖徳太子作と伝え、平安時代のものとされる。また伊勢妙見に祀られていたものが妙見像で唯一、国重要文化財となっている[4]。鎌倉時代のものという。

八代妙見では本地仏であった亀蛇框座阿弥陀如来像が市内に伝存している[5]

奈良の地獄谷聖人窟には石窟のなかに線刻で描いた平安時代後期の妙見像がある。

星曼荼羅

妙見信仰に関わる曼荼羅は二種類あり、ひとつは星曼荼羅といい、もうひとつは妙見曼荼羅という。星曼荼羅は北斗曼荼羅ともいう。北斗法などの本尊に用いる。

星曼荼羅は北斗法、本命星供、当年星供などの本尊に用いる。依拠する経典はなく、日本で考案されたものという。一字金輪仏頂(釈迦金輪)を中尊とし、その周囲に北斗七星、九曜、十二宮、二十八宿を並べるものである。その図様から円形と方形の二種類がある。直接には妙見菩薩は登場しない。 円形のものは天台系であり、天台座主慶円に由来し、第一院に中尊、第二院の上部に北斗七星、下部に九曜を円形に配し、第三院には十二宮、外院には二十八宿が配す。法隆寺本が代表的である。 方形のものは真言系であり、香隆寺寛空に由来するという。第一院の中心に中尊、その下に北斗七星、第一院の外周に九曜を配し、第二院に十二宮、外院に二十八宿を方形に配する。久米田寺本が代表的である。

鎮宅霊符信仰

鎮宅霊符とは、護符の一種である。家宅の諸所に張り付けて祀り、魔除けとした。 72種の霊符がある。目的に応じて使い分けるらしい。道教由来のもので、道教経典の『太上秘法鎮宅霊符』(『正統道蔵』洞真部・神符類所収)が原典とされる。

起源は不明だが、日本では密教、宿曜道陰陽道などで信仰されて、中世には陰陽師などがこの霊符を配札し、信仰を得ていたという。鎮宅霊符信仰の古典として『鎮宅霊符縁起集説』という典籍がある。同書に伝える伝承によると、鎮宅霊符は、推古天皇の時代に琳聖太子が渡来して伝来したと言われ、琳聖太子が上陸したのが八代妙見であるという。同書によると、740年(天平12年)に最初の版木が製作され、1351年(正平6年/観応2年)、南朝の懐良親王によって版木が奉納されたという。

諸所に貼って祀られることから、いつしか霊符は神格化されて、鎮宅霊符神と呼ばれるようになった。鎮宅霊符神は妙見菩薩や真武神と習合し、同一視された。鎮宅霊符の72霊符は武当山の72峰と通じ、霊符神の聖降日は真武神の聖降日と同一であるという。いま述べた鎮宅霊符信仰の発祥地とされる八代妙見には、現在も八代神社の末社として霊符神社があり、これが鎮宅霊符神社の総本社とされる。

陰陽師が祀った霊符神社としては、大和・鎮宅霊符神社や、河内・鎮宅霊符神社が知られる。このほか曹洞宗霊符山大陽寺、黄檗宗高崎・達磨寺霊符堂、黄檗宗閑臥庵鎮宅霊符神堂、天台宗行願寺鎮宅霊符神堂、大阪天満宮霊符社などに祀られている。

系譜

主要妙見宮

主要妙見宮

名称 国郡 所在地 社寺 コメント
天白山妙見寺 河内国石川郡 大阪府南河内郡太子町 天白山妙見寺 妙見信仰発祥地の一つ。
八代妙見 肥後国八代郡 熊本県八代市 八代神社
白木山神宮寺
中宮山悟真寺
琳聖太子関連。八代妙見祭。亀蛇。
下松妙見 周防国都濃郡 山口県下松市 降松神社
妙見山鷲頭寺
琳聖太子関連。大内氏の崇敬。
能勢妙見 摂津国能勢郡 大阪府豊能郡能勢町 能勢妙見宮
無漏山真如寺
日蓮宗関連。
花園妙見 上野国群馬郡 群馬県高崎市 三鈷山妙見寺 坂東八平氏関連。
秩父妙見 武蔵国秩父郡 埼玉県秩父市 秩父神社
蔵福寺
坂東八平氏関連。秩父祭。
千葉妙見 下総国千葉郡 千葉県千葉市中央区 千葉神社
妙見寺
坂東八平氏関連。
相馬妙見 陸奥国行方郡 福島県相馬市・南相馬市 相馬中村神社
相馬太田神社
相馬小高神社
坂東八平氏関連。相馬三妙見。

諸国妙見宮

名称 国郡 所在地 コメント
九戸妙見 九戸神社 陸奥国糠部郡 岩手県九戸郡九戸村長興寺第1地割10 九戸氏の氏神。
日高妙見 日高神社 陸奥国胆沢郡 岩手県奥州市水沢区日高小路13 水沢伊達氏などの崇敬を受けた。
日光山中禅寺妙見宮(廃絶) 下野国都賀郡 栃木県日光市中宮祠2484 空海日光山を訪れ、滝尾で修法を行じたとき、八葉蓮華池より大小二つの玉が出現した。大きな玉を妙見尊星、小さな玉を天補星といい、それぞれ堂宇を建てて祀った。このうち大きな玉を祀ったのが当宮という。1902年(明治35年)の山津波により中禅寺は倒壊。当宮も廃絶となった。
園城寺 尊星王堂(廃絶) 近江国滋賀郡 滋賀県大津市園城寺町246 現在は法明院で尊星王法が行われているという。
比叡山延暦寺 八部院 近江国滋賀郡 滋賀県大津市坂本本町4220 最澄が定めた九院の一つ。妙見を祀る。1988年(昭和63年)再建。
霊巌寺妙見堂(廃絶) 山城国愛宕郡 京都府京都市北区西賀茂北鎮守菴町 円行が平安時代前期に創建したという。天皇・貴族の信仰を集めた。『今昔物語集』には三条天皇が眼病平癒祈願のために当宮に祈願した説話が収録されている。また実際に999年(長保1年)12月9日、一条天皇が祈願のため修復したことが史料に見えている(『権記』)。毎年3月3日、9月3日に朝廷から献灯がある北辰祭が行われていたという。のち廃絶。現在の正伝寺のあたりという。江戸時代に日蓮宗円成寺に岩戸妙見として再建された。
建勲神社 船岡妙見社 山城国愛宕郡 京都府京都市北区紫野北舟岡町49 四神相応の玄武神を祀る神社。平安京は四神相応の地と言われ、北方守護の玄武は船岡山に当てられた。創建は不詳。
妙見山法輪寺 妙見堂 大和国生駒郡 奈良県生駒郡斑鳩町三井1570 聖徳太子が感得したという妙見菩薩を祀る。祀られる妙見菩薩像は現存最古のものという。
星田妙見 小松神社 河内国交野郡 大阪府交野市星田9丁目60-1 空海が獅子窟寺で仏眼仏母の修法を行ったところ、天より七曜の星が出現し、三つに別れて落ちた。その一つを祀ったのが当社という。残る二箇所は降星山光林寺の星御前と星の森の宮である。神禅寺があった。
久々知妙見 広済寺妙見宮 摂津国川辺郡 兵庫県尼崎市久々知1丁目3-27 源満仲が創建したとされる。日蓮宗。
但馬妙見 名草神社 但馬国養父郡 兵庫県養父市八鹿町石原1755-6 高野直夫幡彦が祖神を祀ったのが始まりとされる。式内社。中世には妙見菩薩を合祀したとされる。帝釈寺があったが神仏分離によって廃絶となり、日光院がそれを引き継いだ。県社。
但馬妙見 日光院 但馬国養父郡 兵庫県養父市八鹿町石原450
阿知妙見 観龍寺妙見宮 備中国窪屋郡 岡山県倉敷市阿知2丁目25-22 妙見宮の創建は不詳。神仏分離により、社地が分離され、妙見宮は境内に遷座。妙見宮旧殿は備中・阿智神社となる。
阿知妙見 阿智神社 備中国窪屋郡 岡山県倉敷市本町12-1 神功皇后が宗像三神を祀ったのが創始とされる。中世、これを妙見宮と称したという。阿知氏が奉じたという。県社。
氷上妙見 興隆寺妙見宮 周防国佐波郡 山口県山口市大内御堀410 下松妙見の分社。大内氏の氏神。
出雲妙見 長浜神社 出雲国出雲郡 島根県出雲市西園町上長浜4258 国引神話の旧跡。現在の祭神は「八束水臣津野命」である。式内出雲神社の論社。近代以前は妙見宮とされていた。1550年(天文19年)、大内義隆が太刀神馬を奉納している。県社。
足立妙見 御祖神社 筑前国企救郡 福岡県北九州市小倉北区妙見町 和気清麻呂創建とされる。足立山平愈寺があった。山頂に上宮、山腹に下宮がある。和気清麻呂旧跡。県社。

宿曜道

名称 国郡 所在地 コメント
北斗降臨院(廃絶) 山城国愛宕郡 京都府京都市東山区清水 宿曜道の拠点となった施設。珍賀が1165年(永万1年)に創建。東山清水坂にあった。「妙見菩薩」が祀られていたかどうかは不明であるが、北辰信仰に関わる祭祀が行われていたのは間違いないだろう。

坂東八平氏の妙見信仰

名称 国郡 所在地 コメント
三鈷山妙見寺 上野国群馬郡 群馬県高崎市引間町213
平井館 (不詳) 群馬県藤岡市西平井 平良文の居館。所在不明。
村岡館 (不詳) 神奈川県藤沢市村岡・埼玉県熊谷市村岡・茨城県下妻市村岡 平良文の居館。所在不明。
藤田城 (不詳) (不詳) 平良文の居館。所在不明。
秩父妙見 武蔵国秩父郡 埼玉県秩父市番場町1-3
千葉妙見 下総国千葉郡 千葉県千葉市中央区院内1-16-1
猿島妙見社(遷座) 下総国猿島郡 (不詳)
守谷城妙見宮(遷座) 下総国相馬郡 茨城県守谷市守谷字城山
擁護山清浄光院西林寺 下総国相馬郡 茨城県守谷市本町726
相馬妙見 太田 陸奥国行方郡 福島県南相馬市原町区中太田舘腰143
相馬妙見 小高 陸奥国行方郡 福島県南相馬市小高区小高古城13
相馬妙見 中村 陸奥国宇多郡 福島県相馬市中村北町140
高井城 妙見八幡宮 下総国相馬郡 茨城県取手市下高井
明建神社 美濃国郡上郡 岐阜県郡上市大和町牧814-1 1221年(承久3年)、承久の乱の功績により美濃国山田荘を与えられた千葉家の一族の東胤行が阿千葉城の南に妙見菩薩を勧請。鎌倉時代末期、篠脇城築城に伴い、現在地に遷座。
涌谷妙見宮 陸奥国遠田郡 宮城県遠田郡涌谷町涌谷 千葉家の一族である涌谷伊達家(亘理家)の氏神。武石宗胤が1302年(乾元1年)に亘理に下向。その地で創建された。亘理家が当地に遷るとともに現在地に遷座した。
臼井城 臼井妙見社 下総国印旛郡 千葉県佐倉市臼井田 臼井城は千葉家の一族の臼井興胤が築城。臼井城築城のときに創建されたと考えられている。「星神社」
平山城 妙見宮 下総国千葉郡 千葉県千葉市緑区平山町 平山城は千葉家の一族の馬加家の一時的な居城。
本佐倉城 妙見 下総国印旛郡 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉 本佐倉城にある妙見宮。千葉城に依った千葉宗家は一族の馬加康胤らに攻められて1455年(康正1年)に享徳の大乱で滅亡した。その後、馬加康胤は千葉家を称し、本佐倉城を築城した。妙見宮はもと「奥ノ山」という場所に鎮座していたが、現在はその南に鎮座している。千葉妙見宮が遷座したという説もあるらしい。


二総六妙見

平将門が勧請ともいう。

名称 国郡 所在地 コメント
千葉 千葉神社 下総国千葉郡 千葉県千葉市中央区院内1-16-1
飯高 飯高神社 下総国匝瑳郡 千葉県匝瑳市飯高475 祭神は「天御中主命」である(千葉県誌)。天慶年間、あるいは943年(天慶6年)に創建という。麻績大権現、天子大明神と称したともいう。飯高檀林がすぐそばにある。(千葉県誌539)
印西 (不詳) 下総国印旛郡 (不詳)
周西 人見神社 上総国周淮郡 千葉県君津市人見892 祭神は「天御中主命」で、「高皇産霊命・神皇産霊命」を合祀する(千葉県誌)。平将門が創建したという。1874年(明治7年)、現在名に改称して、郷社となる。(千葉県誌478)
横田 横田神社 上総国望陀郡 千葉県袖ヶ浦市横田2470 祭神は「天御中主命」である(千葉県誌)。寛永年間、徳川家光、社領6石8斗を寄進する。
浦田 久留里神社 上総国望陀郡 千葉県君津市浦田15 祭神は「天御中主命」である(千葉県誌)。1021年(治安1年)、千葉忠常が創建。あるいは「久留里記」によると、平将門が勧請したといい、細田妙見と称していたという。郷社。(千葉県誌477)

日蓮宗の妙見信仰

鎮宅霊符神

名称 国郡 所在地 コメント
霊符神社 肥後国八代郡 熊本県八代市妙見町 鎮宅霊符神の総本社を称す。八代神社の境外末社。
天社土御門神道本庁神殿 若狭国大飯郡 福井県大飯郡おおい町名田庄納田終 鎮宅霊符神を合祀
達磨寺霊符堂 上野国群馬郡 群馬県高崎市鼻高町296 黄檗宗曹洞宗寿昌派の祖の東皐心越が鎮宅霊符神を伝来し、前橋城の裏鬼門除として創建された。
閑臥庵鎮宅霊符神堂 山城国愛宕郡 京都府京都市北区新御霊口278 黄檗宗。後水尾法皇が後陽成天皇の託宣を聞き、貴船神社の奥の院より鎮宅霊符神を勧請。黄檗宗6世千呆が当寺を創建した。
行願寺鎮宅霊符神堂 山城国愛宕郡 京都府京都市中京区行願寺門前町17 天台宗。革堂行願寺内。鎮宅霊符神堂の由来は不詳。
石峰寺 山城国紀伊郡 京都府京都市伏見区深草石峰寺山町 黄檗宗。
鎮宅霊符神社 大和国添上郡 奈良県奈良市陰陽町 奈良暦師の守護神。
能勢妙見宮 摂津国能勢郡 大阪府豊能郡能勢町 鎮宅霊符神を法華勧請の妙見菩薩として祀ったという。
鎮宅霊符神社 河内国河内郡 大阪府東大阪市東山町 土御門家配下の額田歴代組の守護神。
大陽寺 伊勢国多気郡 三重県多気郡大台町栗谷193 1723年(享保8年)、万明弘宗が中興。曹洞宗。山号は霊符山。
大阪天満宮霊符社 摂津国西成郡 大阪府大阪市北区 神主の屋敷に祀られた屋敷神であったが、次第に信仰を集めて、近世後期には専任の神職が置かれるまでになった。
道明寺天満宮霊符社 河内国志紀郡 大阪府藤井寺市道明寺
星田妙見宮鎮宅霊符社 河内国交野郡 大阪府交野市星田
堀越神社 太上神仙鎮宅霊符神社 摂津国 大阪市天王寺区茶臼山町

古典籍

画像

参考文献

脚注

  1. 1923年(大正12年)『仏教美術概論』など。高野山霊宝館ウェブサイトにも「また、妙見菩薩は名前こそ「菩薩」ですが、事相(じそう・実践上の儀式)においては天部として扱われ、その点では特殊なほとけといえます。」とある[1]
  2. 久々知妙見の神像。ウェブサイトに写真が公開されている[2]
  3. 染谷川の合戦では妙見菩薩は童子形を取って出現したという。
  4. よみうりランド聖地公園 妙見堂に現存。
  5. 熊本県文化財。八代市ウェブサイトに写真が掲載されている[3]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%A6%99%E8%A6%8B%E4%BF%A1%E4%BB%B0」より作成

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