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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

孝霊天皇旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年5月28日 (月)

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孝霊天皇旧跡

目次

概要

旧跡一覧

名称 国郡 所在地 コメント 社格など
大和 孝霊神社 大和国式下郡 奈良県磯城郡田原本町黒田262 黒田蘆戸宮跡に関連する孝霊天皇奉斎神社。法楽寺の鎮守社。「蘆戸神社」ともいう。祭神は「孝霊天皇」を主祭神として、配祀に「倭迹迹日百襲姫命、彦五十狭彦命、稚武彦命」を祀る(境内由緒書)。もと黒田蘆戸宮跡と伝える法楽寺の中にあったが、明治初年に現在地に遷座したという。『和州寺社記』によると、法楽寺の地は陵墓の地とも伝え、孝霊神社では毎年九月に祭礼を行なっていたという。(『大和志料 下巻』122、境内由緒書) 不詳
大和 法楽寺 大和国式下郡 奈良県磯城郡田原本町黒田360 黒田蘆戸宮跡・孝霊天皇殯斂地隣接地にある寺院。天地山。真言宗御室派。本尊は勝軍地蔵(『大和志料 下巻』122、『和州寺社記』)。空海の創建。あるいは聖徳太子の創建とも。『和州寺社記』によると、黒田の都の跡地であり、孝霊天皇の陵墓(「廟所」)というが、『大和志料 下巻』は陵墓説を否定している。境内にあった孝霊天皇の社は、明治初年に境外に遷座して独立した。(『大和志料 下巻』122)
大和 孝霊天皇殯斂地 黒田伝承地 大和国式下郡 奈良県磯城郡田原本町黒田 孝霊天皇殯斂地の伝承地。黒田大塚古墳。孝霊天皇の仮の陵墓という説があるらしい(「大和路アーカイブ」[1])。『和州寺社記』では法楽寺を孝霊天皇の陵墓(「廟所」)としているが、この古墳は法楽寺に隣接しており、この古墳のことを述べているのかもしれない。(『大和志料 下巻』122) 治定外陵墓
大和 孝霊天皇陵 片岡伝承地(現陵) 大和国葛下郡 奈良県北葛城郡王寺町本町3丁目 孝霊天皇陵の伝承地。現・孝霊天皇陵。「御廟所」と通称される。いつ頃から、この「御廟所」が孝霊天皇陵だと考えられ始めたかは不明であるが、江戸幕府が行った「元禄の修陵」のときには既に孝霊天皇陵だと認知されていた(「諸陵考」)。しかし、現在では、ここは丘陵地ではあるが、古墳ではないと考えられているらしい。 治定陵墓等(陵)
吉備 本宮神社(備中吉備津神社境内) 備中国賀夜郡 岡山県岡山市北区吉備津931 備中吉備津神社の境内社。備中吉備津神社祭神大吉備津彦命の親族を祀る。祭神は「大倭根子彦賦斗迩命(孝霊天皇)・大倭玖迩阿礼比売命(母神)・細比売神」である(『玄松子の記憶』[2])。 境内社
吉備 備前吉備津彦神社 備前国津高郡 岡山県岡山市北区一宮1043 備中吉備津神社の分社。相殿に孝霊天皇を祀る。祭神は「大吉備津彦命」を主祭神に「吉備津彦命、孝霊天皇、孝元天皇、開化天皇、崇神天皇」などを配祀する。 備前一宮・国幣小社・別表神社
吉備 備後吉備津神社 備後国品治郡 広島県福山市新市町宮内400 備中吉備津神社の分社。相殿に孝霊天皇を祀る。祭神は「大吉備津彦命」を主祭神として、「大日本根子彦太瓊命、細比売命、稚武吉備津彦命」を配祀する(神社ウェブサイト)。 備後一宮・国幣小社・別表神社
吉備 高岡神社_(岡山県真庭市) 備中国阿賀郡 岡山県真庭市上中津井2999 孝霊天皇奉斎神社。祭神は「大倭根子日子賦斗迩命(孝霊天皇)、大日霎貴命、天児屋根命、誉田別命、武甕槌命」である。904年(延喜4年)に高丸山に勧請し、1168年(仁安3年)に現在地に遷座したという。1016年(長和5年)の大嘗会和歌に「高岡の社」と詠まれているらしいが、出典不詳。高岡五社大明神と称していたが、明治以後、高岡神社と称している。(『岡山県神社庁ウェブサイト』[3]、『オープンエア岡山』[4]郷社
吉備 南宮神社_(広島県府中市) 備後国芦田郡 広島県府中市栗柄町 孝霊天皇陵伝承地に鎮座する孝霊天皇奉斎神社。祭神は「孝霊天皇、伊弉諾、伊弉冉神、金山彦」など十四柱である(境内由緒書)。吉備津彦も祀るという。孝霊天皇は譲位後にこの地に隠棲したともいう。807年(大同2年)の創建とされる。境内に「孝霊塚」と呼ばれる孝霊天皇陵伝承地がある。神宮寺が分離して現存している。(境内由緒書) 備後一宮・社格不詳
吉備 孝霊天皇陵 栗柄伝承地(南宮神社_(広島県府中市)境内) 備後国芦田郡 広島県府中市栗柄町 孝霊天皇陵の伝承地。「孝霊塚」という。南宮神社内にある。孝霊天皇は譲位後、この地に隠棲して崩御し、ここに葬られたという。あるいは死後、皇子である吉備津彦命が吉備に滞在のときに父を慕って陵墓を築いたともいう。(南宮神社境内由緒書) 治定外陵墓
伯耆 東楽楽福神社 伯耆国日野郡 鳥取県日野郡日南町宮内1065 伯耆行幸伝説に由来する孝霊天皇奉斎神社。祭神は「若建吉備津彦命、大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)、細姫命、福姫命」などを祀る(『鳥取県神社誌』544)。「奥日野大社」という。大吉備津彦命と若建吉備津彦命がこの地を平定し、その若建吉備津彦命の功績により、若建吉備津彦命を祀ったという。あるいは孝霊天皇が皇后細媛命、皇子歯黒命(彦狭島命)とともに伯耆に行幸し邪鬼を退治したあと、天皇の行宮が東の楽楽福神社で、皇后(あるいは皇子)の行宮としたのが西の楽楽福神社であるという(ただし、この孝霊天皇行幸伝説を『鳥取県神社誌』は古典に見えずとして強く否定している。)。境内社の若宮神社は「欝色雄命、大水口命、大矢口命」を、今宮神社は「磯城県主大目命」を祀る。(『鳥取県神社誌』544、546) 県社
伯耆 西楽楽福神社 伯耆国日野郡 鳥取県日野郡日南町宮内236 伯耆行幸伝説に由来する孝霊天皇奉斎神社。祭神は「大吉備津彦命、大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)、細姫命、彦狭島命」などを祀る(『鳥取県神社誌』546)。大吉備津彦命と若建吉備津彦命がこの地を平定したことにより大吉備津彦命を祀ったものという。あるいは孝霊天皇行幸伝説があるが、東楽楽福神社の項目を参照。近隣に崩御山があり、大吉備津彦命の陵墓という(孝霊天皇行幸伝説では皇后の陵墓とされる)。境内の若宮神社は「稚武彦命、磯城県主大目命、蝿伊呂杼命」を祭り、今宮神社には「大矢口命、大水口命」を祀る。 県社
伯耆 宮原楽楽福神社 伯耆国日野郡 鳥取県西伯郡伯耆町宮原225 伯耆行幸伝説に由来し、孝霊天皇陵の伝承地に鎮座する孝霊天皇奉斎神社。祭神は「大日本根子彦太瓊尊、細媛尊、大水口命、大八口命」ほか12柱である(境内由緒書)。孝霊天皇はこの地に行幸し、鬼住山の鬼を退治し、この地で崩御した。その傍らに「笹葺き」の社を絶てて祭ったのが創始という。「口日野大社」という。神宮寺として「三帝山孝霊院」があったが元禄年間に廃絶。(境内由緒書、『鳥取県神社誌』579) 郷社
伯耆 孝霊天皇陵 宮原伝承地(宮原楽楽福神社境内) 伯耆国日野郡 鳥取県西伯郡伯耆町宮原225 孝霊天皇陵の伝承地。孝霊天皇はこの地で崩御し、古墳に祀られたという。もと前方後円墳とも円墳とも言われているが、1920年(大正9年)の伯備線開通および国道181号線の開削によって削り取られ、現在の姿になったという。ただし学問的調査はなされていないようだ。(宮原楽楽福神社境内由緒書) 治定外陵墓
伯耆 菅福神社 伯耆国日野郡 鳥取県日野郡日野町上菅250 伯耆行幸伝説に由来する孝霊天皇奉斎神社。祭神は「大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)、細姫命、阿礼姫命、吉備津彦命、百襲姫命、稚屋姫命、彦狭島命、稚武彦命、福姫命」などである(『鳥取県神社誌』532)。孝霊天皇、皇后細姫ともに伯耆に行幸し、牛鬼を退治した。このとき行宮としたのが当社の地である。皇宮大明神と称していたが、1868年(明治1年)に高宮社と改称、1920年(大正9年)に「菅福神社」と改称した。(『鳥取県神社誌』532) 村社
伯耆 高杉神社 伯耆国汗入郡 鳥取県西伯郡大山町宮内88 伯耆行幸伝説に関連する孝霊天皇奉斎神社。祭神は「大足彦忍代別命(景行天皇)、大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)、押別命、本媛之命、松媛之命、千代姫之命、小葉枝皇子、大葉枝皇子、根鳥皇子、天照大御神、武速須佐之男命、誉田別命」を祀る(『鳥取県神社誌』)。創建不詳。由緒は判然としない。孝霊山(皇霊山、高麗山)の麓にある。雄略天皇の時代、孝霊天皇に仕えた松媛・千代姫の霊が皇后細姫に嫉妬して祟りをなした。そのため、それぞれを一の御前社、二の御前社、三の御前社に祀ったという。これにちなんで嬲神事が行われる。1649年(慶安2年)に現在地に遷座。大正時代、一之神社、ニ之神社、参之神社、平神社、荒神社を合祀したが、景行天皇、孝霊天皇、押別命以外の祭神はこのときに合祀されたものである。 村社
越智氏系 伊予神社 伊予国伊予郡 愛媛県伊予郡松前町神崎小斎院193 越智氏の遠祖を祀る神社。祭神は「彦狭島命」を主祭神として「愛比売命、伊予津彦命、伊予津姫命、大日本根子彦太瓊尊、細媛命、速後神命、伊予親王、藤原吉子」を配祀する(『玄松子の記憶』[5])。彦狭島命は孝霊天皇の皇子で越智氏の祖とされる。 式内社・名神大社・県社
越智氏系 高岡神社 土佐国高岡郡 高知県高岡郡四万十町仕出原100 越智氏の遠祖を祀る孝霊天皇奉斎神社。祭神は「大日本根子彦太邇尊(孝霊天皇)、磯城細姫尊、大山祇尊・吉備津彦狭島尊、伊豫二名州小千尊、伊豫天狭貫尊」とされる[6]。孝霊天皇後裔の越智玉澄は伊予より土佐に移ったが、この地で祖神などを奉斎して創建した。越智玉澄はのち伊予に戻って河野氏の祖となる。その後、行基や空海が寺院をこの地に創建して、仁井田十二福寺と総称されるようになり、四国八十八箇所霊場の一つとなったという。近世には岩本寺が別当として残った。明治初年に神仏分離により、高岡神社となった。県社。(『神社探訪・狛犬見聞録』[7]、『古今宗教研究所』[8]四国八十八箇所霊場37番札所・県社
越智氏系 仁井田神社 土佐国土佐郡 高知県高知市仁井田3514 仕出原の高岡神社の分社。祭神は「大日本根子彦布図瓊命」の他五柱を祀る。(「土佐の地域文化記録保管庫」[9]不詳
越智氏系 柏崎三島神社 越後国三島郡 新潟県柏崎市剣野町2-18 伊予大山祇神社の分社。相殿に孝霊天皇を祀る。祭神は、「大山祇命、大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)、吉備津彦命」である(『玄松子の記憶』[10])。越智氏(伊予大山祇神社社家)後裔という高田藩主稲葉正通によって現在地に遷座されたという。孝霊天皇は越智氏の遠祖として祀られたものと思われる。(『玄松子の記憶』[11])。 式内社・県社
讃岐 孝霊天皇陵 讃岐一宮伝承地(一宮寺_(香川県高松市)境内) 讃岐国香川郡 香川県高松市一宮町607 孝霊天皇陵の伝承地。一宮寺にある。孝霊天皇・倭迹迹日百襲媛命・彦五十狭芹彦命の供養塔。もと讃岐一宮田村神社にあったもので神仏分離のとき遷されたものともいう。田村神社社伝によると倭迹迹日百襲媛命は彦五十狭芹彦命とともに讃岐を平定したとされる。父天皇を慕って祀られたとするのが妥当であろうか。 治定外陵墓
讃岐 孝霊神社(水主神社境内社) 讃岐国大内郡 香川県東かがわ市水主 孝霊天皇奉斎神社。水主神社は倭迹々日百襲姫を祀る神社である。その父天皇として祀られているものと思われる。(『玄松子の記憶』[12]境内社


参考文献

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%AD%9D%E9%9C%8A%E5%A4%A9%E7%9A%87%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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