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宝慈院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年11月12日 (日)
(宝慈院門跡から転送)
宝慈院(ほうじいん)は、京都府京都市上京区下木下町にある臨済宗の門跡寺院。本尊は阿弥陀如来。無学祖元と無外如大も祀る。 宝慈院門跡。千代野御所。千代御殿。無外如大が創建。元は景愛寺の塔頭。臨済宗単立。背中合わせに無学寺(景愛寺跡地)がある。初名は資樹院。山号は樹下山。
歴史
景愛寺開山の無外如大尼が塔頭として創建。 元は資樹院と称した。 将軍足利義政の時代には、比丘尼御所は宮々・御所御所・上々の三つにランク付されていたが、宝慈院は上々の筆頭だった。 応仁の乱で廃絶した景愛寺の仏像・寺宝を受け継いだ。 美濃紙を流通販売する近江国愛知郡の枝村商人を配下に置いた。 江戸時代は61石(和漢三才図会)。 1764年(明和1年)12月28日、千代御所号が許可された(六条家記録)。 四十八願寺の一つに数えられた。 明治以後、臨済宗相国寺派に属したが、戦後独立した。 (『日本歴史地名大系』ほか)
組織
住職
江戸時代は景愛寺長老となった大聖寺門跡か宝鏡寺門跡が兼務したとも(「尼門跡の言語生活」、)。しかし下記のように住職がいたはず。
- 無外如大(1223-1298)<>:無学祖元の法嗣。景愛寺、真如寺を創建。1298年(永仁6年)11月28日死去。宝慈院と真如寺に木像が残る。墓所は真如寺。
- 月庭無忍()<>:景愛寺2世。宝慈院と号す。
- 如空()<>:景愛寺3世。
- 孤峰恵秀()<>:景愛寺4世。
- 東峰恵日()<>:景愛寺5世。
- 華林恵厳女王(生没年不詳)<>:光厳天皇皇女。夢窓疎石に師事した。景愛寺8世。宝鏡寺開山。
- 鏡室恵照()<>:景愛寺13世。
- 徹堂恵通()<>:
- 慈俊()<>:
- 慈照()<>:
- 覚林周真(?-1641)<>:日野家出身。1641年(寛永18年)7月23日死去。墓所は相国寺慈照院(雍州府志)。
- 沢甫周徳(?-1667)<>:日野家出身。1667年(寛文7年)3月9日死去。墓所は相国寺慈照院(雍州府志。沢甫周林?)。
- 青山周長(?-1669)<>:日野家出身。1669年(寛文9年)2月6日死去。
- 梅岩周法(?-1725)<>:中院家出身。1725年(享保10年)1月12日死去。
- 慈門周観(?-1745)<>:竹内家出身。1745年(延享2年)9月14日死去。
- 瑞岩周珪(?-1757)<>:野宮家出身。1757年(宝暦7年)5月14日死去。
- 玉淵周〓(?-1778)<>:柳原家出身。1778年(安永7年)4月19日死去。〓は「王宗」。
- 正道周昉(?-1846)<>:正親町公明の娘。1846年(弘化3年)4月25日死去。
- 奥野法縁()<-1957->:(「尼門跡の言語生活からみた女房詞の研究」)
正道周昉まで『比丘尼御所諡号考』