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宮崎神宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年1月8日 (日)

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宮崎神宮

宮崎神宮(みやざき・じんぐう)は、宮崎県宮崎市神宮(日向国宮崎郡)にある神武天皇を祀った神社。高千穂宮跡とされる。祭神は神武天皇で、相殿に鵜〓草葺不合尊玉依姫命を祀る。官幣大社神社本庁別表神社神宮号宣下神社宮崎県護国神社や宮崎県神社庁がある。境外に別宮狭野神社や摂社皇宮神社がある。旧称は神武天皇社宮崎宮宮崎神社

目次

歴史

宮崎神宮
宮崎神宮
宮崎神宮
  • 神代:健磐龍命(神武天皇の孫で阿蘇神社祭神とされる)が高千穂宮跡に神武天皇の霊を祀って鎮祭したのが始まりという。
  • 崇神天皇時代:社殿増築
  • 景行天皇時代:熊襲征討の歳に造営
  • 応神天皇時代:日向国造が祀る
  • 1197年(建久8年):地頭土持信綱が社殿造営。奈古神社とも関連。
  • 1473年(文明5年):伊東祐国が社領を寄進。
  • 1502年(文亀2年)8月3日:台風で舟塚宮が崩壊。
  • 1503年(文亀3年)11月19日:舟塚宮再建。
  • 1644年(正保1年):延岡藩主有馬康純が改築
  • 元禄年間:神武天皇社と奈古八幡社に5石を寄進。
  • 1792年(寛政4年)6月19日:高山彦九郎が参詣。
  • 1813年(文化10年):延岡藩主内藤政順が改築
  • 1834年(天保5年):島津義久、御祓料として18石を寄進。
  • 1839年(天保10年):延岡藩主内藤政義が改築。
  • 1873年(明治6年)5月:県社に列格。宮崎神社と改称。(宮崎市史続編上年表)
  • 1875年(明治8年)8月10日:国幣中社に昇格。(太政類典[1]
  • 1876年(明治9年)3月8日:宮崎神社の序列を国幣中社阿蘇神社の次とする(太政類典[2]
  • 12月8日:予算を定める。(太政類典[3]
  • 1876年(明治9年)10月27日:宮崎神社、御神幸が始まる。(宮崎市史続編上年表)
  • 1878年(明治11年)5月18日:宮崎宮と改称。(太政類典[4]
  • 1878年(明治11年)2月:五所稲荷神社が末社となる。
  • 1878年(明治11年)5月2日:政府、遷宮費を下付。(太政類典[5]
  • 1880年(明治13年)3月:焼失。(太政類典[6][7]
  • 1882年(明治15年)6月:再建計画(太政類典[8][9][10][11]
  • 1885年(明治18年)4月22日:官幣大社に昇格。(宮崎市史続編上年表)
  • 1888年(明治21年)2月:馬場を移転。(宮崎市史続編上年表)
  • 1899年(明治32年):神武天皇御降誕大祭会を設立。
  • 1899年(明治32年):改築始まる
  • 1907年(明治40年)10月20日:改築完了し遷座。(宮崎市史続編上年表)
  • 1907年(明治40年)11月2日:皇太子(大正天皇)行啓。
  • 1909年(明治42年):御神幸祭を復興
  • 1913年(大正2年)6月28日:宮崎神宮と改称(太政類典[12])(7月4日?)
  • 1913年(大正2年)12月15日:宮崎神宮駅(花ヶ島駅)開設
  • 1913年(大正2年):瀬頭御旅所を設置。
  • 1915年(大正4年)6月:県社狭野神社が宮崎神宮別宮となる(戦後は独立神社となる)。
  • 1920年(大正9年)3月28日:皇太子(昭和天皇)行啓
  • 1934年(昭和9年)10月5日:御東遷2600年奉告祭。秩父宮隣席。(宮崎市史年表)
  • 1935年(昭和10年)11月14日:陸軍特別大演習に際して昭和天皇行幸。1949年(昭和24年)、1958年(昭和33年)1973年(昭和48年)にも。
  • 1937年(昭和12年)7月:神武養正講社設立
  • 1938年(昭和13年)11月22日:神域拡張工事起工(宮崎市史年表)
  • 1940年(昭和15年)3月31日:2600年記念事業として境内整備。東神苑整備ならびに参道拡張工事竣工(宮崎市史年表)
  • 1940年(昭和15年)4月3日:流鏑馬神事復活。(宮崎市史年表)
  • 1951年(昭和26年)3月:宮崎神宮境内に国立林業試験場九州支場宮崎分場を開設。1967年(昭和42年)まで
  • 1955年(昭和30年)3月10日:宮崎県護国神社、竣工遷座祭
  • 1971年(昭和46年)3月7日:宮崎神宮敷地内に宮崎県立総合博物館を開設。

境内

  • 本社:
  • 狭野神社:宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田。境外別宮。県社。霧島六社権現の一つ。神武天皇の生誕地ゆかり。
  • 皇宮神社:宮崎県宮崎市下北方町横小路。境外摂社。
  • 五所稲荷神社:末社。祭神は保食神塩土翁道臣命椎根津彦命大久米命。創建不詳。元は宮崎神宮本殿の東側にあった。1827年(文政10年)9月奉納の手水鉢が現存する。1871年(明治4年)11月に境内の水分神社・事代主神社および周辺の稲荷神社(下北方田ノ上)、地主神社(花ケ島)、稲荷秋葉神社(下北方)を合祀した。1878年(明治11年)2月に宮崎神宮末社と定められた。1899年(明治32年)から1907年(明治40年)までの本殿造営にともない現在地に遷座した。
  • 宮崎県護国神社:宮崎県宮崎市神宮。別の神社
  • 宮崎県神社庁:宮崎県宮崎市神宮。
  • 船塚陵:本社の真後ろにある。神武天皇が鵜戸から乗ってきた船を埋めた塚、もしくは神武東征に用いるつないだ場所という。船塚古墳。古墳時代後期の前方後円墳。下北方古墳群の中で最後期に当たるとみられる。全長76.8m、高さ7.34m。船琴山、船場陵。
  • 瀬頭御旅所:宮崎県宮崎市瀬頭。1913年(大正2年)建立。
  • 大淀御旅所:中村御旅所。場所は不定か。
  • 西神苑
  • 東神苑
  • ご神田
  • 神宮会館
  • 流鏑馬馬場
  • 徴古館

組織

宮司

宮崎県護国神社宮司を兼務する。

  • 伊牟田泉(1817-1892)<1875-1878>:1817年(文化14年)生。熊本県菊池市の田島菅原神社の出身。神道講釈に長ける。1848年(嘉永1年)清乃屋を開く。1875年(明治8年)から1878年(明治11年)まで宮崎神社宮司。1886年(明治19年)8月、神宮教玉名分教会長。1892年(明治25年)4月死去。伊牟田直治。
  • 丸野房雄()<1878-1879>:1876年(明治9年)石清水八幡宮宮司。1878年(明治11年)宮崎宮宮司。1879年(明治12年)12月、都農神社宮司。
  • 和田磐春(?-1880)<1880-1880>:薩摩出身。平田国学を学び、後醍院真柱に師事する。1873年(明治6年)6月、小国神社権宮司兼権中講義。10月梅宮神社権宮司中講義。1874年(明治7年)4月9日、権大講義。15日、梅宮神社宮司。12月東京府十二等出仕。1876年(明治9年)1月解職。8月復職。12月鎌倉宮権宮司。1877年(明治10年)12月8日、廃官。17日鎌倉宮禰宜。1878年(明治11年)11月、寒川神社宮司。1880年(明治13年)1月、宮崎宮宮司。大講義を経て3月22日権少教正。8月19日死去。著書『恵比寿考』。
  • 永友宗年(1854-1927)<1881-1889>:1854年(安政1年)生。名和大年に師事。上京して井上頼圀に師事。1878年(明治11年)都農神社に奉仕。1881年(明治14年)宮崎宮宮司。1889年(明治22年)5月1日、都農神社宮司。1927年(昭和2年)死去。著書に『日向国神祇史料』14巻、『日向雑記』5巻、『続日向雑記』4巻、『日向全書』5巻。
  • 上井栄雄(1852-1924)<1896-1900>:鹿児島県出身。1852年(嘉永5年)生。1885年(明治18年)伊和神社宮司。1887年(明治20年)制度変更にともない、4月7日改めて任命。1895年(明治28年)5月24日、安仁神社宮司。1896年(明治29年)2月4日、宮崎宮宮司。1900年(明治33年)転任。戸隠神社宮司から転任して1921年(大正10年)12月28日、鶴岡八幡宮宮司就任。1924年(大正13年)3月12日休職。1924年(大正13年)5月12日死去。73歳。著書に『戸隠山案内記』。
  • 青木陳実(1854-1918)<1900-1908>:下野国安蘇郡出身。1854年(安政1年)生。国学を堀秀成や御巫清直に学ぶ。1873年(明治6年)2月、大原野神社権禰宜。伊勢神宮主典。1896年(明治29年)11月、神宮権禰宜。1900年(明治33年)宮崎宮宮司。1908年(明治41年)9月1日、白峰宮宮司。1910年(明治43年)頃、結城神社宮司、1913年(大正2年)2月6日、平安神宮宮司。1916年(大正5年)10月2日、賀茂別雷神社宮司。1918年(大正7年)6月3日死去。著書『祝詞作文自在』。
  • 田中直達()<1908-1924>:内務官僚。東京府庶務課長、小石川区長、1889年(明治22年)3月、牛込区長を兼務。4月、山梨県書記官。山梨県参事官、鹿児島県書記官、宮崎県書記官を歴任。1908年(明治41年)9月1日、宮崎宮宮司。1924年(大正13年)退職。
  • 神尾清澄(1885-1943)<1933-1936>:滋賀県出身。1885年(明治18年)生。陸軍歩兵伍長。1916年(大正5年)8月8日、伊佐須美神社宮司。1918年(大正7年)7月8日、樺太神社宮司。1929年(昭和4年)3月5日、石上神宮宮司。1933年(昭和8年)4月4日、宮崎神宮宮司。1936年(昭和11年)12月19日、賀茂御祖神社宮司。在職で1943年(昭和18年)2月22日死去。
  • 河合繁樹()<1936->:1936年(昭和11年)宮崎神宮宮司。塩竈神社宮司。宮城県神社庁長。
  • 片岡常男(1895-)<1944->:1944年(昭和19年)宮崎神宮宮司。
  • 横山秀雄(-1948)<>:熊野坐神社宮司、宮崎神宮宮司、宇佐神宮宮司を歴任。
  • 井上国雄()<1960-1964>:1960年(昭和35年)から1964年(昭和39年)まで宮崎神宮宮司。都農神社宮司。
  • 甲斐武教(1908-1991)<1965-1983>:西米良村村長。1965年(昭和40年)から1983年(昭和58年)まで宮崎神宮宮司。
  • 黒岩龍彦(1923-2008)<1983-2008>:宮崎県出身。国学院大学予科修了。道義倫理学科に進学するが学徒動員。1976年(昭和51年)宮崎神宮権宮司。1983年(昭和58年)宮崎神宮宮司、宮崎県護国神社宮司、宮崎県神社庁庁長。
  • 杉田秀清()<2008-2019>:国学院大学卒。鵜戸神宮宮司を経て2008年(平成20年)から2019年(令和1年)まで宮崎神宮宮司。、
  • 本部雅裕(1951-)<2019->:宮崎県出身。1974年(昭和49年)国学院大学文学部神道学科卒。鵜戸神宮に奉職。宮崎県神社庁参事。2008年(平成20年)鵜戸神宮宮司。2019年(令和1年)7月1日、宮崎神宮宮司。宮崎県神社庁庁長。

権宮司

  • 黒岩龍彦
  • 黒岩昭彦

画像

資料

  • 『古事類苑』「宮崎宮」[13]
  • 永友宗年1891『宮崎宮略縁起』[14]
  • 永友宗年1917『日向国神祇史料』「宮崎神宮」[15]
  • 日吉昇1899『日州名所案内』[16]
  • 曽小川彦千代1899『日向都案内記』「宮崎宮」[17]
  • 若山甲蔵1907『宮崎県案内記』[18]
  • 宮崎県1912『宮崎県行啓誌』「宮崎宮」[19]:明治の造営
  • 宮崎町1915『神都宮崎』[20]
  • 宮崎神宮1916『宮崎神宮略記』
  • 1922『宮崎神宮奉務綱要』[21]
  • 1922『宮崎県史蹟調査』「宮崎宮」[22]
  • 1929『日向地誌』「船塚陵」[23]
  • 1932『宮崎県神社誌』「宮崎神宮」[24]
  • 1933『大日本神社志』[25]
  • 1936『南九州の旅』「宮崎神宮」[26]
  • 1939「宮崎神宮境域拡張整備起工祭」[27]
  • 上村幸盛 1939『宮崎碑文志』「宮崎神宮御旅所碑」[28]
  • 1939『紀元二千六百年祝典記録1』「宮崎神宮境域拡張整備事業に関する審議」[29]
  • 1940『紀元二千六百年祝典記録7』「宮崎神宮境域の拡張整備」[30]
  • 1940『神武天皇御紀謹解』「宮崎神宮」[31]
  • 1940『聖地日向―皇紀二千六百年』[32]
  • 松尾宇一1940『神武天皇宮崎皇居考証文献資料』「」[33]
  • 伊吹蘚石1940『宮崎神宮御神幸之図』:1940『紀元二千六百年記念更新官幣大社宮崎神宮御神幸列之図』も同じか
  • 河合繁樹1940『宮崎神宮神事流鏑馬の由来』
  • 河合繁樹編 1941『宮崎神宮徴古館陳列品解説書』[34]
  • 1941「宮崎神宮境域拡張整備工事竣工奉献式」[35]
  • 1943『宮崎神宮の流鏑馬まつり』[36]
  • 1959『宮崎市史』「宮崎神宮」[37]
  • 1959『宮崎市史』「御東遷二千六百年祭」[38]
  • 1978『宮崎市史続編下』「宮崎神宮御神幸祭」[39]
  • 1984『神武天皇論宮崎神宮史』宮崎神宮社務所
  • 藤原惠洋1992「創建神社の意匠特性と復古主義的意匠の創出に関する考察―制限図様式と創建神社の意匠に関する研究(2)」『デザイン学研究』91[40]
  • 黒岩龍彦1994『神武さま―大悲物憂きことなく』
  • 斉藤政美・黒木秀一2003「宮崎神宮の野生植物」『宮崎県総合博物館野外調査会研究紀要』24
  • 黒木秀一2007『宮崎神宮の森今昔』
  • 服部保ほか2010「宮崎神宮社叢の種多様性の特性」『保全生態学研究』15-1[41]
  • 黒岩昭彦2011「紀元二千六百年奉祝事業の審議経過について―宮崎神宮への追加事業を中心に」『神道宗教』222・223
  • 黒岩昭彦2014「占領下の八紘之基柱―「神道指令」と「八紘一宇」の護持」『神道宗教』233
  • 黒岩昭彦2016「「妖怪博士」の宮崎紀行―宮崎神宮に参拝した井上圓了」『みやざき民俗』68
  • 黒岩昭彦2017「戦艦「日向」と宮崎神宮」『神道文化』29
  • 黒岩昭彦2018「宮崎神宮の「藤まつり」」『みやざき民俗』70
  • 渡邉一弘2015「宮崎神宮「日誌」に見る昭和二十年」『昭和のくらし研究』14
  • 永瀬節治2015「昭和前期の宮崎都市計画の特色とその地域的・社会的文脈」『都市計画論文集』50-3[42]
  • 神武会2018『神武さん参り』
  • 本部雅裕2022『不易と流行―古希に人生を顧みる』
  • 『養正』:社報
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E7%A5%9E%E5%AE%AE」より作成

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