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富士八海
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年5月7日 (日)
富士八海 |
内八海
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目次 |
概要
富士八海とは、角行系富士信仰(いわゆる富士講)において信仰される八つの湖のことである。角行系富士信仰の祖、長谷川角行が修行した地だとされている。富士山周辺の内八海と、全国に及ぶ外八海がある。また忍野八海も元八海と呼ばれる。これらの湖には龍神が住むとされる。この八海を巡拝するのが富士信仰の行の一つであった。
内八海は仙瑞、山中湖、明見湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖、四尾連湖である。この順番に巡礼を行っていたという。ただし、『甲斐国志』、『甲斐名勝志』、『駿河国新風土記』などでは仙瑞ではなく、須戸湖(浮島沼)あるいは長峰濁池(所在未確認)を入れる。外八海は、琵琶湖、二見浦、箱根湖(芦ノ湖)、諏訪湖、中禅寺湖、榛名湖、桜池、鹿島海(霞ヶ浦)とされる。やはりこの順番で巡礼する(順序に関しては別説もある)(以上、『富士の信仰』284-286)。現在、扶桑教の本部には内八海と外八海の龍神を祀った神社がある。
由緒
角行系富士信仰の祖、長谷川角行が修行した地だとされている。これは『角行藤仏〓記』(角行系富士信仰のもっとも基本的な縁起書である『御大行の巻』の異本の一つ。角行の伝記。『日本思想大系67』所収)に見える。『角行藤仏〓記』が史実として角行の事績をどの程度伝えているのかはここでは問わない。『角行藤仏〓記』がいつどこで誰が書いた物なのか伝えてきた物なのか、『御大行の巻』とどの程度異同があるのかなど、出典に解説がないので分からないが、ある時期、ある場所、ある集団において、富士八海が角行が修行した場所として伝承されてきたことが分かる。
これによると、1572年(元亀3年)、角行は富士山登拝修行のあと、人穴に戻ってきて、お礼の修行をしたところ不二仙元大日神より託宣が下って、「八湖大行仕、父母の恩徳を報ずべし」(「八つの湖で修行を行い、父母の恩に報いるように」)と命じられた。これを受けて、1573年(天正1年)より3年間、各地で修行したことが記されている。琵琶湖を始め、裾野の「穴海」や山中湖、「済度の湖」、西湖、精進湖、本栖湖、四尾連湖、浮島沼、芦ノ湖、隠岐の「生子海」、「落海」、中禅寺湖、「慈悲の湖」といった地名が登場する。湖だけを列挙したが、他を含めたとしても、各地の霊山を巡る修行よりも水辺での修行を重視した姿勢が特色として注目できる。登場する地名では現在地が分からないところも多い。また外八海と内八海の区別は見られない。もともとは「八湖」といっても具体的な八つの湖を意味するものではなかったのかもしれない。ただ内八海のうち、浮島沼も含めて、河口湖と泉瑞以外は登場しているのは興味深い。外八海では、琵琶湖、芦ノ湖、中禅寺湖が登場している。なお時代が下って明治期に書かれた角行などの伝記『扶桑教祖年譜』によると、「外八海」の文言が見え、霞ヶ浦、琵琶湖、芦ノ湖、中禅寺湖、「津軽池」、佐倉沼、諏訪湖、二見浦などの湖の名前が見える。
一方、『御大行の巻』と並んで角行系富士信仰における最も基本的な教典である伝・身禄著の『三十一日の巻』(1971『民衆宗教の思想 日本思想大系67』所収)にはよりはっきりと内八海、外八海について述べられている。この『三十一日の巻』は吉田御師田辺十郎右衛門が身禄の話を聞き書きしたものとされているが、実際は身禄の思想を著したものではなく、田辺による偽作だという(大谷正幸2007)。ただ富士講においては、身禄の著作として最重要視されてきた教典の一つであった。この『三十一日の巻』によると「外八海は真の菩薩、国土にあらゆる千種の勢いとなる元の起り。内八海は三国の人、人間三ヶ月の露となり、母の体内に真玉となり子種さづかる起り。」とある。外八海は、あらゆる生命の根源になる種であるといい、内八海は、人間が新月の露から生まれ母の胎内に宿るその起源であるという。つまるところ、生命の起源を象徴するものとして意義付けられているのである。内八海については、 仙水出口(泉瑞)、山中の海(山中湖)、明見野海(明見湖)、舟津野海(河口湖)、西野海(西湖)、庄司の海(精進湖)、本巣野海(本栖湖)、志びれ野海(四尾連湖)とある。外八海については、具体的な湖の名前は挙げられていない。
『御大行の巻』にしても『三十一日の巻』にしても、富士八海には角行系富士信仰における、水を重視する思想が込められていることはいえるのではないだろうか。教典では以上のようにあるものの、実際の実践(儀式や修行や説教など)のなかでどのような位置付けであったかについては資料を見てないので分からない。
内八海
内八海は仙瑞、山中湖、明見湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖、四尾連湖である。この順番に巡礼を行っていたという。これは『三十一日の巻』に基づくものだと思われる。仙瑞は湖ではなく、小さな湧泉である。ただし、『甲斐国志』、『甲斐名勝志』、『駿河国新風土記』などでは仙瑞ではなく、須戸湖(浮島沼)あるいは長峰濁池(所在未確認)を入れる。
順序 | 名称 | 所在地 | コメント |
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1 | 泉瑞 | 山梨県富士吉田市 | 北口本宮の南2キロの富士山裾野にある湧水地。一般の「内八海」には入れないが、富士講での内八海の筆頭となる。「仙水龍神」が祀られている(『富士山道しるべ』)。あるいは「御手洗龍神」という(扶桑教本部龍神宮石碑)。北口本宮富士浅間神社の手水舎はここから引水されている。現在は枯れてしまったか。傍らに泉瑞水神社が鎮座している。源頼朝が浅間社の祈願して掘ったところ湧いた水だという伝説がある。 |
2 | 山中湖 | 山梨県南都留郡山中湖村 | 富士五湖の一つ。富士山の東北東にある。富士五湖で最大の面積を持つ。「作薬龍神」が祀られている(『富士山道しるべ』、扶桑教本部龍神宮石碑)。北西の湖畔に山中湖諏訪神社があり、近くに御旅所がある。また南東の明神山にその奥宮がある。「臥牛湖」ともいう。 |
3 | 明見湖 | 山梨県富士吉田市 | 富士山の北東にある。「明日見龍神」が祀られている(扶桑教本部龍神宮石碑)。あるいは「清氏龍神」という(『富士山道しるべ』)。湖畔には明見之龍王神社が建てられている。やや離れるが大明見に北東本宮小室浅間神社があり、小明見に富士浅間神社がある。「阿栖湖」ともいう。 |
4 | 河口湖 | 山梨県南都留郡富士河口湖町 | 富士五湖の一つ。富士山の北にある。富士五湖で二番目の面積を持つ。「水口龍神」が祀られている(『富士山道しるべ』、扶桑教本部龍神宮石碑)。湖畔に河口浅間神社や大石浅間神社、富士御室浅間神社がある。 |
5 | 西湖 | 山梨県南都留郡富士河口湖町 | 富士五湖の一つ。富士山の北北西にある。「青木龍神」が祀られている(『富士山道しるべ』、扶桑教本部龍神宮石碑)。湖畔に刹海神社(竜宮洞穴)がある。 |
6 | 精進湖 | 山梨県南都留郡富士河口湖町 | 富士五湖の一つ。富士山の北西にある。「出生龍神」が祀られている(『富士山道しるべ』、扶桑教本部龍神宮石碑)。湖畔に精進湖諏訪神社がある。 |
7 | 本栖湖 | 山梨県南都留郡富士河口湖町 | 富士五湖の一つ。富士山の北西にある。「古根龍神」が祀られている(『富士山道しるべ』、扶桑教本部龍神宮石碑)。近くには本栖浅間神社がある。 |
8 | 四尾連湖 | 山梨県西八代郡市川三郷町 | 蛾ケ岳山頂付近にある池。富士山の北西にある。「尾崎龍神」が祀られている(『富士山道しるべ』、扶桑教本部龍神宮石碑)。「志比礼湖」ともいう。子安神社がある。 |
須戸湖(浮島沼) | 静岡県富士市 | 駿河湾沿いにあった沼地。「浮島沼」として知られている。富士講以外の富士八海では泉瑞ではなくここを入れていた。富士山の南にあった。現在は干拓されて住宅地などになっている部分が多い。 須戸湖の代わりに「長峯濁池」を入れることがあるが、どこの湖なのか不明である。 |
外八海
外八海は、琵琶湖、二見浦、箱根湖(芦ノ湖)、諏訪湖、中禅寺湖、榛名湖、桜池、鹿島海(霞ヶ浦)である。この順番で巡礼する(順序に関しては別説もある)。これらの湖は、直接的には富士信仰の影響下にはない。しかし、いずれも個別の歴史と伝統を持つ、神聖視される湖である。特に琵琶湖、芦ノ湖、桜ヶ池は、富士信仰とは関係なしに龍神の住むところとして知られる湖である。 外八海の分布をみると、東北北陸地方や京都以西にはない。地理的に富士山に近いところが挙げられている傾向にあるが、だからといって角行系富士信仰の分布と相関関係にあるわけでもない。二見浦のように湖でないものもある。
順序 | 名称 | 所在地 | コメント |
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1 | 琵琶湖 | 滋賀県長浜市 | 「身大龍神」?が祀られている(扶桑教本部龍神宮石碑)。竹生島の都久夫須麻神社に龍神が祀られており、また境内には八大龍王拝所がある。 |
2 | 二見浦 | 三重県伊勢市 | 「白日龍神」が祀られている(扶桑教本部龍神宮石碑)。二見興玉神社には竜宮社がある。 |
3 | 箱根湖(芦ノ湖) | 神奈川県足柄下郡箱根町 | 「二本龍神」が祀られている(扶桑教本部龍神宮石碑)。湖畔には九頭龍神社があり、その分社が箱根神社境内にある。 |
4 | 諏訪湖 | 長野県諏訪市 | 「星龍神」が祀られている(扶桑教本部龍神宮石碑)。 |
5 | 中禅寺湖 | 栃木県日光市 | 「豊龍神」が祀られている(扶桑教本部龍神宮石碑)。 |
6 | 榛名湖 | 群馬県高崎市 | 「村田龍神」が祀られている(扶桑教本部龍神宮石碑)。 |
7 | 桜ケ池 | 静岡県御前崎市 | 「待合龍神」が祀られている(扶桑教本部龍神宮石碑)。比叡山高僧の皇円は、末法の世を憂いて、弥勒の世を待つために龍神となって、この池に姿を隠したという。湖畔に池宮神社がある。 |
8 | 鹿島海(霞ヶ浦) | 茨城県鹿嶋市 | 「要龍神」が祀られている(扶桑教本部龍神宮石碑)。 |
忍野八海
天保年間、大我講の講元であった大寄友右衛門が、寛永寺の公認を得て、忍野の池から北極星と北斗七星の形になる池を選んで、八大龍王を祀ったのが始まりという(東円寺ウェブサイト)。忍草浅間神社(朝日浅間神社)およびその別当であった忍草山大日院東円寺が湖畔にある。
順序 | 名称 | コメント |
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1 | 出口池 | 八大竜王のうち「難陀竜王」を祀る。民宿「原の家」内に大我講の「元八湖再興」の石碑がある。(2002「富士八海をめぐる」」『MARUBI』19) |
2 | 御釜池 | 八大竜王のうち「跋難陀竜王」を祀る。 |
3 | 底抜池 | 八大竜王のうち「釈迦羅竜王」を祀る。 |
4 | 銚子池 | 八大竜王のうち「和脩吉竜王」を祀る。 |
5 | 湧池 | 八大竜王のうち「徳叉迦竜王」を祀る。 |
6 | 濁池 | 八大竜王のうち「阿那婆達多竜王」を祀る。 |
7 | 鏡池 | 八大竜王のうち「麻那斯竜王」を祀る。コノシロ池ともいう(『富士の信仰』、『富士山道しるべ』)。(2002「富士八海をめぐる」」『MARUBI』19) |
8 | 菖蒲池 | 八大竜王のうち「優鉢羅竜王」を祀る。旧正月14日に筒粥の神事を行うという。(山梨県 1929年(昭和4年)『史蹟名勝天然記念物調査報告書: 天然紀念物之部』 ) |
参考文献:山梨県 1929年(昭和4年)『史蹟名勝天然記念物調査報告書: 天然紀念物之部』 |
参考文献
- 井野辺茂雄 1928年(昭和3年)『富士の信仰』古今書院[1]
- 山梨県 1929年(昭和4年)『史蹟名勝天然記念物調査報告書: 天然紀念物之部』[2]
- 『角行藤仏〓記』1971『民衆宗教の思想 日本思想大系67』所収[3]
- 『三十一日の御巻』1971『民衆宗教の思想 日本思想大系67』所収(吉田御師田辺家本)[4]
- 堀内真 2002・2003「富士八海をめぐる(前・後)」『富士吉田市歴史民俗博物館だより MARUBI』19・20[5]
- 大谷正幸 2005「『扶桑教祖年譜』における角行系宗教の伝承(1) 」『仏教文化学会紀要』14[6]
- 大谷正幸 2007「明治初期の扶桑教と富士信仰―『扶桑教祖年譜』にみる角行系宗教の伝承(2)」『仏教文化学会紀要』15[7]
- 東円寺ウェブサイト[8](2011/05/15閲覧)