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尾山御坊
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年4月2日 (日)
尾山御坊(おやま・ごぼう)は、加賀国金沢にあった浄土真宗の御坊寺院。現在の本願寺金沢別院・真宗大谷派金沢別院の前身。金沢御堂。
歴史
松岡寺、本泉寺、光教寺、願得寺の四ケ寺などが指導する加賀一向一揆(小一揆)は加賀国の実権を握っていたが、当時、加賀に亡命していた越前出身の加賀・超勝寺と加賀・本覚寺が本山本願寺と結びついて(大一揆)、両者は対立。周辺の武将も介入し、軍事衝突した。この戦いを大小一揆と呼ぶ。その結果、大一揆が勝利し、本願寺は小一揆を指導した僧を処刑した。さらに末寺の統率のために天文15年(1546)、本願寺は加賀国金沢に尾山御坊を創建した。越前勢力も衰退し、本願寺の直接支配が進んでいった。尾山御坊は石垣を備えた事実上の城郭で、その場所は現在の金沢城跡周辺とみられるが不詳。
大小一揆後、加賀一向一揆の拠点として加賀国の政治を司ったが、天正8年(1580)、佐久間盛政に滅ぼされ、真宗の支配は終わった。11年(1583)、袋町に再興されたがこれが現在の本願寺金沢別院である。また東西分立すると御坊が西本願寺に付いたため、東本願寺は後町にあった専光寺を新たに御坊としたが、これが現在の真宗大谷派金沢別院である。
参考文献
- 木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部
ほか