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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

山口八海神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2013年1月27日 (日)

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八海神社
はっかい じんじゃ
Hakkaisan 010.jpg
概要 八海山城内口の里宮。
奉斎 国狭槌尊、瓊瓊杵尊、木花咲耶姫尊
所在地 新潟県南魚沼市山口中手原454
所在地(旧国郡) 越後国魚沼郡
所属(現在)
格式など
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目次

概要

八海山城内口の里宮。社家は村山家。祭神は「国狭槌尊、瓊瓊杵尊、木花咲耶姫尊」ほかを祀る(松本1975)。江戸時代後期においては、自然石を祀っていたが、のち杉の木を祀るようになり、鳥居が建てられた。1840年(天保11年)7月、藤原集落の井口伊豆正が生金道を開山し、生金本社を創建すると、それに触発される形で山口村の十二所神社神主村山吉永は同年秋に登山口の「鳥居の木」という場所に里宮を創建した。やはり井口家に触発される形で、1841年(天保12年)2月、村山家は吉田家より「山口村十二所大明神・西表八海山大明神両社神主職」の許状を得た。村山家は神道修成派に所属し、第六教務支局長を勤めた。1910年(明治43年)、周辺の小社を合祀。1927年(昭和2年)、村社となる。戦後は御嶽教との関係を深め、境内に「新御嶽教大霊場」が設置されている。(鈴木1978、松本1975、宮家1981)

画像


参考文献

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E5%85%AB%E6%B5%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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