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東本願寺峰山別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年6月17日 (土)
(峰山別院から転送)
東本願寺峰山別院(ひがしほんがんじ・みねやま・べついん)は京都府京丹後市峰山町堺にあった浄土真宗寺院。真宗大谷派。東本願寺の別院だった。旧称は光明寺。三河に移転して三河別院となったが、旧地にも説教場が残された。のち峰山教会と称したようだが廃絶したとみられる。
歴史
- 1833年(天保4年):足矣庵、創建
- 1837年(天保8年)7月:藩の許可を得て光明寺と公称。初代住職は恵了。菅峠の新道・旧道の分かれ道の東の山下にあったという。切畑山にあった妙見堂を移築して本堂とした。
- 1871年(明治4年)8月:光明寺廃絶。伽藍は1873年(明治6年)頃、民家に買い取られ、のち北丹後地震で倒壊。
- 1880年(明治13年)1月12日:光明寺、京都府の許可を経て富貴屋町の角に復興。「真宗大谷派本願寺別院」と称していたらしい。
- 1885年(明治18年)11月18日:丹波・丹後・但馬の三国を管轄。
- 1890年(明治23年)6月:三河国岡崎に移転し三河別院となる。2012『別院探訪』によると、本尊は三河別院に奉遷した。峰山には建物はそのまま残されたらしく、説教場となり、地元では引き続き「別院」と呼ばれた。
- 1927年(昭和2年)3月7日:北丹後地震で焼失。半鐘のみが残った。
- 1927年(昭和2年)12月:字堺に説教場を新築。
- 1928年(昭和3年)9月:京都府の許可。新設扱いか。
- 1946年(昭和21年)10月14日:峰山教会と改称。
- 1954年(昭和29年)1月16日:真宗大谷派峰山教会と改称。
(1964峰山郷土史[1])