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崇伝旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年10月20日 (金)

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崇伝臨済宗の僧侶。建長寺南禅寺を歴任。徳川家康の側近として江戸幕府草創期の宗教行政を担当した。足利家の支族。源氏。自坊は南禅寺金地院駿府金地院江戸金地院。塔所は南禅寺金地院。初代僧録司。国師号は「円照本光国師」。以心崇伝。

略歴

  • 1569年:誕生。父は一色秀勝。
  • 1573年:足利家滅亡。父死去。のち南禅寺で玄圃霊三に師事。靖叔徳林から嗣法。
  • 1605年2月:建長寺住職(不詳)
  • 1605年3月:南禅寺住職。この就任の直前に金地院を復興(『国史大辞典』)。
  • 1608年:西笑承兌との縁で徳川家康に近づき、駿府に招かれ、外交文書の作成に当たる。
  • 1610年4月:駿府に金地院を開く
  • 1612年8月:徳川家康の命で板倉勝重とともに寺社行政を担当する
  • 1613年:方広寺鐘銘事件に関わる
  • 1613年:キリシタン追放令。崇伝が起草する。
  • 1615年:禁中並公家諸法度制定。崇伝が起草した。
  • 1615年閏6月6日:真観寺常光寺に寺領500石ずつを当て復興に取り掛かる(本光国師日記)。
  • 1615年7月7日:武家諸法度制定。起草する。この日、伏見城で諸大名に対し、崇伝自ら読み上げて聞かせたという。
  • 1616年4月1日:本多正純や天海と共に徳川家康の遺言を聞く
  • 1616年4月16日:徳川家康死去。吉田神道により祀ることを主張するが採用されなかった。
  • 1618年:江戸金地院を開く
  • 1619年9月15日:僧録司に任命(本光国師日記)
  • 1626年10月8日:後水尾天皇から「円照本光国師」号 下賜(続史愚抄)。
  • 1627年7月:紫衣事件。沢庵宗彭・玉室宗珀を流罪する。
  • 1633年1月20日:江戸金地院で死去。南禅寺金地院に埋葬。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%B4%87%E4%BC%9D%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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