ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
崇道天皇陵
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年5月22日 (日)
当初、淡路島の崇道天皇初葬地に葬られたが、崇道天皇の追贈の後、大和に改葬された。改葬の時期は明らかでないが、平安時代中期『類聚国史』では805年(延暦24年)4月に改葬司を任命したとあり、鎌倉時代末期『帝王編年記』では800年(延暦19年)7月に八島寺に遺骨を納めたとある。
幕末には所在不明になっていたが「文久の修陵」では、崇道天皇社が陵墓に擬せられて修復された。これは幕府ではなく、領主である津藩藤堂家によって行われた。1886年(明治19年)、神社は域外に遷座させられ、円墳が築かれた。移転した崇道天皇社は嶋田神社として現存している。 (日本歴史地名大系、文久山陵図222)