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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

常明寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年11月15日 (木)

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常明寺
じょうみょうじ
概要 度会氏(二門)の氏寺。天台宗。廃絶。
奉斎
所在地 (三重県伊勢市)
所在地(旧国郡) 伊勢国度会郡
格式など
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目次

概要

常明寺(じょうみょうじ)は伊勢国度会郡(三重県伊勢市倭町)にあった天台宗寺院。度会氏(二門)の氏寺。倭姫命陵墓の伝承地が隣接する。日蓮旧跡ともされる。伊勢神宮関連旧跡。廃絶。尾上寺泉寺

歴史

継体天皇代の創建。『倭姫命世記』によると、雄略天皇23年2月、尾上山峰に退いて、「石隠」したとあるが、この「尾上山峰」が常明寺のある小山で、境内の石窟が倭姫命の墳墓であると言われる。現在は宇治山田陵墓参考地に指定されている。

聖徳太子が再興したとされる。『神祇本源』所載の「尾上寺」や「泉寺」の後身という見解がある。また外宮禰宜の檜垣常明が再興したため、この名前がついたという説があるが、彼の時代以前からこの名前で存在していることが確認されているので否定されている。

日蓮が伊勢神宮に参拝した時、常明寺の井戸(誓願の井戸)で「三大誓願」を建てたという。

もと真言宗だったが寛永年間に天台宗に改宗。『毎事問』によれば、このあたりが昔刑場で墓地でもあったことを聞いた長官の檜垣常晨は後の世に再び刑場に使われないように1629年(寛永6年)の遷宮の際の古材の鳥居をここに建てたという。ところが、この鳥居を巡って事件が起きる。1675年(延宝3年)、常明寺が「両太神宮内院高日山太神宮寺」の扁額をこの鳥居に掲げた。神宮は、「仏寺にあるまじきこと」として山田奉行に訴えたところ、扁額を取り下げさせ、鳥居は朽ちるに任せた。しかし、常明寺では夜半に古木で修繕を加えて、明治維新まで存続させたという。

境内には神落萱社があり、現存している。正月8日には外宮神官が参向して祭典を行った。

常明寺は明治維新の神仏分離で廃絶。1882年(明治15年)、常明寺跡に伊勢・欣浄寺が復興されたがのち移転した。

伽藍


参考文献

  • 『宇治山田市史』


http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%B8%B8%E6%98%8E%E5%AF%BA」より作成

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