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常陸・正福寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年12月30日 (土)

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正福寺(しょうふくじ)は、茨城県笠間市(常陸国茨城郡)佐白山麓にある観音信仰真言宗寺院。坂東三十三所観音霊場の第23番札所。本尊は十一面千手観世音菩薩。真言宗単立で普門宗を称する(ウェブサイト2015年6月確認)。中世の戦乱や明治初期の混乱で廃絶し、昭和期に復興した寺院であることから、情報が少なく歴史にはっきりしない点が多い。佐白山正福寺佐白観音(さしろ・かんのん)、勝福寺観世音寺ともいう。(参考:同名寺院正福寺観音寺勝福寺

歴史

『佐白山縁起』によれば、白雉2年(651)、狩人の粒浦氏が白馬・白鹿・白雉が護る霊木で観音像を刻んだのが始まりという。孝徳天皇の勅願寺となったという。(寺院ウェブサイト)

中世、北方にある徳蔵寺と争乱を起こす中、下野国宇都宮に拠点を置く宇都宮氏に支援を求めたところ、派遣された藤原時朝は徳蔵寺だけでなく、正福寺も破壊した。これは元久2年(1205)のことという(金岡秀友、昭和56『古寺名刹大辞典』) 。時朝は両寺の寺領を奪い、寺跡に笠間城を築城し、子孫は笠間氏を名乗った。のち城内に観音堂を建てて本尊を祀ったという。天正18年(1590)、笠間氏が宇都宮氏に滅ぼされると宥明が一坊に本尊を遷して祀り続けたという。この頃、勝福寺と称したともいう。

近世にはおそらく城内の片隅の小堂のような形が祀られていたのではないだろうか。これも明治に廃絶となる。ウェブサイトには「明治の廃仏運動の時に戸倉の徳蔵寺に移されて難を逃れ」とあるが、どこかの神社の神宮寺であったという伝もない正福寺がなぜ廃仏の対象になったのか分からず、説得力は弱い(寺院整理と混同している可能性もある)。考えられるとすれば笠間城が廃城になったのに伴い破壊活動が行われたのだろうか。明治34年の『茨城県案内』によると「佐白観世音堂」は「旧追手通り大黒石より北方に入る一段高き丘陵」にあったが、明治4、5年ごろに火災で焼失し、本尊は曹洞宗玄勝院(笠間氏の菩提寺)に移されたとある。

昭和5年に仮本堂建立を果たし、現在地に復興(寺院ウェブサイト)。しばらく観世音寺と称していたようだが、平成24年(2012)に元の正福寺に改称した(境内掲示)。ただし、昭和56年(1981)の『古寺名刹大辞典』でも正福寺として収録されている。

宗派については、曹洞宗系単立(『古寺名刹大辞典』)や真言宗豊山派(寺院ウェブサイト説明)としていたこともあるようだが、現在は「普門宗(真言宗系単立)」としている。曹洞宗であったのは明治大正期に本尊が預けられていた玄勝院が曹洞宗であったことと関係しているかもしれない。

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