ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。
歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

延暦寺横川霊山院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年7月17日 (月)

移動: 案内, 検索

延暦寺霊山院(えんりゃくじ・りょうぜんいん)は、滋賀県大津市の比叡山延暦寺横川地区兜率谷にあった源信ゆかりの天台宗寺院。本尊は釈迦如来。廃絶。神蔵寺香積寺帝釈寺青龍寺と並んで比叡山五別所の一つ。源信墓の南方、行者道の傍にあったと伝わり、中世墓地霊山遺跡の跡に建てられた滋賀医科大学慰霊碑周辺とも言われるが、正確な位置は不明。(参考:同名寺院霊山院。東塔無動谷にも霊山院があり里坊が現存)

歴史

正暦年間(990-995)、源信が創建。寛弘4年(1007)、源信は毎日の生身供の作法を詳細に定めた『霊山院釈迦堂毎日作法』と『霊山院式』を著した。これは本尊を生きている釈迦に擬すもので、暑い日には扇、寒い日には爐を供えることが定められていた。同様の信仰があった京都・清凉寺への対抗として創始されたとも言われる。壁面には十大弟子が描かれ、ここで奉仕する僧俗は釈迦在世時の仏弟子のように振る舞うことが目指された。毎月晦日には法華経を講説する霊山釈迦講が行われた。永仁4年(1296)の文書によれば当時、本堂の他、鐘楼、経蔵、三十番神、如法普賢道場、また妙釈房、法釈房、蓮釈房、花釈房、如法経料紙供台、大湯屋の6坊があった。織田信長の焼き討ち後は再建されなかった。霊山院にあった『毎日作法』と『六道絵』は聖衆来迎寺に伝わっている。(日本歴史地名大系、源信展図録、霊山遺跡発掘調査概要[1]

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%BB%B6%E6%9A%A6%E5%AF%BA%E6%A8%AA%E5%B7%9D%E9%9C%8A%E5%B1%B1%E9%99%A2」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール