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建国神廟
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年2月2日 (金)
建国神廟(けんこくしんびょう)は、満州国新京(現・吉林省長春市)にあった天照大神を祀る神廟。建国忠霊廟が隣接していた。廃絶。皇帝溥儀が創建。
目次 |
画像
資料
史料
- 1940「各国神祠及寺院関係雑件・満洲国建国神廟創建ノ件」[1]
- 祭祀府1940『建国神廟及建国忠霊廟御創建概要』
- 祭祀府1940「建国廟造営概要」[2]
- 祭祀府1941『建国神廟の創建と惟神の道』
- 祭祀府1942「建国神廟と建国忠霊廟の祭祀の意義」[3]
- 橋本虎之助1942「建国神廟奉仕の重任を負ひて」[4]
- 橋本虎之助1942「建国神廟神苑に就て」[5]
- 日満中央協会1941『満洲帝国皇帝陛下御訪日と建国神廟御創建』[6]
- 1941『建国忠霊廟鎮座祭写真帖』
- 1942「建国の天神と地神」[7]
- 1942「建国神廟に対する認識」[8]
- 増田増太郎1942「建国忠霊廟の神域整備に就て」[9]
- 「建国忠霊廟造営工事概要」『満州建築雑誌』21-1
- ポスター「建国忠霊廟―満州建国の歴史」[10]
- 「皇帝御訪日及建国神廟の創建」[11]
法令関係
- 1941『満洲国官吏録』「祭祀府」[12]
- 1943『満洲国基本法』「祭祀府」[13]
- 1943『満洲国法令輯覧』「第一章 建国神廟建国忠霊廟」[14]
- 1943『満洲国法令輯覧』「祭祀府」[15]
- 1943『満洲国詔書及国政資料』「建国神廟ノ御創建ト日満一体不可分関係」[16]
- 1945「弁護側文書第315号―満州国建国神廟ニ関スル覚」『連合国最高司令官総司令部国際検察局文書EntryNo.332』[17]
- 1947「法廷証第2442号―満州国建国神廟ニ関スル覚」『朝日新聞社旧蔵極東国際軍事裁判記録―和文資料V』[18]
回顧録
- 八束清貫1953「建国神廟創建の思ひ出」『海外神社史』
- 八束清貫1967「満洲建国神廟仕末記」『神社新報』1967年6月3日付
- 八束清貫(未刊)「建国神廟について」:1968年(昭和43年)に『満洲国史』編纂に際して提出。『満洲国の双廟』参照。
- 外島1967『終戦秘話・満洲国祭祀府の最後』
- 1967「建国神廟のことども」『挫折した理想国―満洲国興亡の真相』[19]
- 岡田実(未刊)「建国神廟の創建とその意義」:『満洲国の双廟』参照。
- 岡田実1953「建国神廟始末記」『海外神社史』
- 2002『満洲国祭祀府の最後・建国神廟神璽についての証言』
文献
- 島川雅史1984「現人神と八紘一宇の思想―満州国建国神廟」『史苑』43-2[20]
- 嵯峨井建1994「建国神廟と建国忠霊廟の創建―満州国皇帝と神道」『神道宗教』
- 嵯峨井建1995「満洲国建国神廟上下」『神社新報』1995年5月1日・15日付
- 嵯峨井建1998『満洲の神社興亡史―日本人の行くところ神社あり』
- 嵯峨井建2023『満洲国の双廟―ラストエンペラー溥儀と日本』
- 津田良樹ほか2007「旧満洲国の「満鉄附属地神社」跡地調査からみた神社の様相」[21]
- 津田良樹2007「幻の「満洲国」建国神廟を復原する」[22][23]
- 津田良樹2008「「満洲国」建国忠霊廟と建国神廟の建築について-両廟の造営決定から竣工にいたる経過とその様相-」[24][25]
- 曲暁范2009「傀儡国家満洲国の「靖国神社」―「新京建国忠霊廟」の建造プロセスおよび満洲国当局の祭祀活動」[26]
- 樋口秀実2011「満洲国「建国神廟」創設をめぐる政治過程」『東洋学報』93-1[27]
- 小川原正道2016「満州国と「合祀」―建国忠霊廟の創建と宣伝」『仏教文学』41
- 大田英昭2013「「満洲国」の爪痕(1)――「靖国」としての建国忠霊廟」『ブログ長春だより』[28][29]