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戒光寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年11月2日 (木)
戒光寺(かいこうじ)は、京都府京都市東山区泉涌寺山内町にある真言宗寺院。本尊は丈六の釈迦如来。中世には泉涌寺と共に北京律の拠点で、近世に泉涌寺子院となる。御陵衛士の墓所がある。子院として京都・東林寺があった。泉涌寺関連旧跡。戒光律寺。
- 1214年(建保2年):浄業曇照(1187-1259)、宋に渡り、鉄翁守一に師事。理宗皇帝から「忍律法師」号を下賜される。
- 1228年(安貞2年):浄業曇照、帰国。宋から大蔵経を請来。東寺の北側に律院として戒光寺を創建する。八条通の北、堀河通の西で、現在の「戒光寺公園」(南区西九条戒光寺町)の場所と思われる。
- 1233年(天福1年):浄業曇照、再び入宋するために戒光寺を浄因に譲る。帰国後、尼の律寺として戒光寺内(東山とも?)に京都・東林寺を建てる。
- 1259年(正元1年)2月21日:浄業曇照死去。
- 1467年(応仁1年):応仁の乱の兵火で焼失。
- 1470年(文明2年)6月:戦乱で東林寺が焼失した
- 不詳:一条小川(上京区戒光寺町)に再建。
- 1548年(天文17年):戒光寺の薬師堂を移築して本圀寺の祖師堂とした。
- 1590年(天正18年):三条通の北、京極通の東(中京区恵比寿町)に移転。
- 1645年(正保2年):後水尾上皇の意思で泉涌寺子院として現在地に移転した。後水尾天皇が皇太子時代に暗殺未遂されたときに当寺の本尊が身代わりとなって血を流したという逸話がある。
- 正保年間:この頃、荒廃した延仁寺の地は戒光寺の所有となり、延仁寺本尊も戒光寺に移された。
- 1865年(慶応1年):尾張西照寺の恵隆が西光寺(のち延仁寺)を再興し、戒光寺から本尊を移す。