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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

播磨国分寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年5月8日 (月)

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概要

播磨国分寺(はりま・こくぶんじ)は、播磨国飾磨郡にあった古代国分寺の一つ。跡地は、兵庫県姫路市御国野町国分寺にある現国分寺一帯に確定している。国指定史跡。

現存寺の由緒書きによると、国分寺以前から聖徳太子が建てた伽藍があったという。 播磨国府の遺構は発見されていないが、現市街地中心部にある播磨総社射楯兵主神社周辺と言われる。国分寺の地は、そこから市川を挟んで東南約4kmに位置する。この地域は国府から少し離れているが、近隣に古墳などもあり、古代豪族の拠点だったと指摘されている。

敷地は約210m四方ある。昭和43年(1968)から13次にわたって発掘調査が行われた。出土瓦の様式から8世紀中頃に建造されたと推定されている。南大門、中門、金堂、講堂が一直線に並ぶ伽藍配置が確認され、回廊が中門と金堂をつなぐ様式だったことが分かった。現存寺の山門の位置に金堂があり、本堂の位置に講堂があった。塔跡は、東南にあり、礎石17個がほぼ全て当時のまま置かれていた。10世紀から11世紀前半の土師器が出土し、また12世紀末まで瓦の補修が行われていたことが判明しており、この頃までは寺院が機能していたらしい。しかし、13世紀以降は側溝が埋没するなど、管理が放置され衰退していった様子が分かる。跡地北側には現存寺があるが、南側には一部の遺構が復元されている。

播磨国分尼寺跡は、北約700mの台地にあり、同時期に建造されたとみられている。現存寺はない。

また室町時代の播磨安国寺は加東郡に、播磨利生塔は赤穂郡の播磨・法雲寺に建てられた。

参考文献

  • 姫路市埋蔵文化センター資料
  • 『国分寺を歩く』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%92%AD%E7%A3%A8%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA」より作成

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