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日光二荒山神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年11月9日 (水)

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日光二荒山神社
にっこう ふたらさん じんじゃ
Futarasan-jinja-nikko-chugushi (1).jpg中宮祠
概要 日光山の神を奉斎する神社。
奉斎 二荒山神
(土岐昌訓論文)
所在地 栃木県日光市山内2307
所在地(旧国郡) 下野国河内郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 式内社名神大社正二位勲四等下野国一宮朱印地拝領神社国幣中社別表神社
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目次

概要

歴史

境内

組織

宮司

  • 1戸田忠友(1847-1924)<1873-1875>:子爵。元宇都宮藩主。1873年(明治6年)3月10日、教導職権少教正。同年3月12日、二荒山神社(日光?宇都宮?)宮司。6月29日、少教正。1874年(明治7年)6月8日、権中教正。1875年(明治8年)9月3日、二荒山神社宮司を退任。(略歴は宇都宮二荒山神社#組織を参照)
  • 2柿沼広身(1827-1893)<1875-1880>:鹿沼・今宮神社の神職。平田派に入門。戊辰戦争で江戸城に集結し、新政府軍を守る。1874年(明治7年)6月、日光二荒山神社権宮司。1875年(明治8年)10月(12月?)から1880年(明治13年)6月まで日光二荒山神社宮司。
  • 3早尾海雄(1843-1894)<1880-1887>:上総国武射郡出身。1843年(天保14年)生。1878年(明治11年)10月、都々古別神社宮司。玉前神社宮司。安房神社少宮司、伊勢神宮禰宜。1880年(明治13年)5月、日光二荒山神社宮司。1887年(明治20年)3月、松平容保の宮司赴任で禰宜となる。1893年(明治26年)11月まで。1894年(明治27年)死去。
  • 4松平容保(1835-1893)<1887-1893>:会津藩主。日光東照宮宮司。1887年(明治20年)9月から1893年(明治26年)5月まで日光二荒山神社宮司。(略歴は日光東照宮#組織を参照)
  • 5渡部邁(1842-1914)<1893-1896>:壬生藩医渡辺宗玄の子。1842年(天保13年)生。尊王派として活動したため、天狗党の乱の際に処分された。1893年(明治26年)12月から1896年(明治29年)12月まで日光二荒山神社宮司。三島大社宮司。1914年(大正3年)死去。墓所は谷中霊園。蔵書家で、旧蔵書が東京大学、九州大学、東北大学狩野文庫に所蔵されている。著書『宇都宮神社考』。
  • 6金鑚宮守(1863-1942)<1897-1898>:1897年(明治30年)1月から1898年(明治31年)2月まで日光二荒山神社宮司。(略歴は金鑚神社#組織を参照)
  • 7中山信徴(1846-1917)<1898-1898>:松岡(手綱)藩主。大成教3代管長。日光東照宮宮司。1898年(明治31年)2月から11月まで日光二荒山神社宮司。(略歴は神道大成教#組織を参照)
  • 8小野村胤信(1864-1908)<1898-1899>:下総国佐原出身。1898年(明治31年)11月から1899年(明治32年)1月まで日光二荒山神社宮司。結城神社宮司。若狭彦神社宮司。湊川神社宮司。1908年(明治41年)9月1日死去。(略歴は若狭彦神社#組織を参照)
  • 9園田弘(生没年不詳)<1899-1903>:1899年(明治32年)4月から1903年(明治36年)1月まで日光二荒山神社宮司。のち八坂神社宮司、射水神社宮司、玉前神社宮司を歴任。(略歴は、射水神社#組織を参照)
  • 10神宮嵩寿(1849-1921)<1903-1905>:御嶽教4代管長。金刀比羅宮宮司、氷川神社宮司、八坂神社宮司を経て1903年(明治36年)1月9日、日光二荒山神社宮司。1905年(明治38年)3月、神職を辞め、御嶽教管長4代となる。(略歴は、御嶽教#組織を参照)
  • 11立木兼善(1834-1909)<1905-1909>:淡路出身の官僚・政治家。1905年(明治38年)3月13日から1909年(明治42年)6月まで日光二荒山神社宮司。(略歴は、石上神宮#組織を参照)
  • 12村上信夫(1848-?)<1909-1914>:1848年(嘉永1年)生。1893年(明治26年)12月日光二荒山神社禰宜。1909年(明治42年)6月から1914年(大正3年)7月まで日光二荒山神社宮司。同年9月30日、日光町長。
  • 13竹間清臣(1863-1923)<1914->:1914年(大正3年)7月、日光二荒山神社宮司。(経歴は駒形神社#組織を参照)
  • 稲村真里(1867-1961)<>:(経歴は香椎宮#組織を参照)
  • 加藤直久(1875-1937)<>:(略歴は平安神宮#組織を参照)
  • 高橋城司(1895-?)<1944-1960>:群馬県出身。1916年(大正5年)早稲田大学中退。1920年(大正9年)群馬県属。1926年(昭和1年)内務省属。1929年(昭和4年)内務省神社局に勤務。1931年(昭和6年)春日大社禰宜。1933年(昭和8年)伊豆山神社宮司。1934年(昭和9年)熱田神宮権宮司。同年、談山神社宮司。1939年(昭和14年)2月1日日吉大社宮司。1941年(昭和16年)、滋賀県祭務官。1944年(昭和19年)から1960年(昭和35年)まで日光二荒山神社宮司。1946年(昭和21年)、栃木県神社庁初代庁長。1952年(昭和27年)神社本庁理事。
  • 喜田川清香()<-1993>:1993年(平成5年)まで
  • 吉田健彦(1936-)<1993-2018>:1983年(昭和58年)権宮司。1993年(平成5年)宮司。2001年(平成13年)から2010年(平成22年)まで栃木県神社庁長。在任中、世界遺産登録。
  • 中麿輝美()<2018->:2018年(平成30年)日光二荒山神社宮司。

権宮司

  • 阿部浩()<>:
  • 柿沼広身()<>:
  • 小村鄰(1848-1920)<>:下総古河出身。(略歴は北海道神宮#組織を参照)
  • 吉田健彦()<>:

画像

参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%97%A5%E5%85%89%E4%BA%8C%E8%8D%92%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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