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日蓮宗霊断師会

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年4月5日 (日)

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日蓮宗霊断師会は九識霊断法などを実践する日蓮宗団体日蓮宗久遠寺派内の非公式団体。本部は東京都世田谷区北烏山の幸龍寺にある。高佐日煌(1896-1966)が設立。信者団体を日蓮宗聖徒団という。霊断師は修法師とは異なる。

目次

概要

九識霊断法は個人の運命を判定し指導するという一種の占い法で、また充霊法華三昧法という独特の祈願作法、身に付ける倶生霊神符の授与など行う。指導に当たる僧侶を霊断師といい、倶生霊神符を着帯する信者を聖徒と呼ぶ。新日蓮教学を標榜する。毎年4月に身延大会、10月に全国大会を開いている。関連団体として行道文庫がある。小西法縁の関係者が多いようだ。

日蓮宗の教義と相容れないという批判が宗派内に存在する。内棲教団とみる分析もある。

歴史

高佐日煌は戦前、「皇道仏教」を宣揚。1938年(昭和13年)4月、「天皇本尊論」を唱えて久遠寺皇道仏教行道会を設立。これに本圀寺妙顕寺池上本門寺法華経寺などが反発して騒動となる。反対派は宗義擁護連盟を結成し、日蓮宗宗務院に対して宗派の公認団体なのかと問い質した。一方、高佐日煌も激烈に反駁し、文部省に「国体明徴の大義に背く」と訴えた。この内紛は衆議院でも採り上げられた。国が事態の収拾に動くことなり、皇道仏教行道会は挙宗一体を特高に誓って解体した。

高佐日煌は戦後の1950年(昭和25年)、十字仏教聖徒団を設立。1954年(昭和29年)、日蓮宗霊断師会に改組した。1958年(昭和33年)から1962年(昭和37年)にかけて立正大学の宗門学者と論争している。1965年(昭和40年)、日蓮宗聖徒団を設立。

2010年(平成22年)頃の会長人事を発端として分裂騒動となったようだ。裁判を経て分裂派は「日蓮宗全国霊断師会連合会」を結成した。

組織

当主

時期によって呼称が変わる。総裁、相伝主、相伝宗主などと称す。日蓮宗聖徒団首導。

  • 1高佐日煌(1896-1966):高佐貫長。行道院。創祖。奈良県五條市出身。1896年(明治29年)2月22日生。21歳で得度。1917年(大正6年)日蓮宗大学予科修了。釜山に渡り、「朝鮮キネマ株式会社」を設立して映画による日蓮宗伝道を試みた。帰国後は雑誌「日蓮主義」の編集長などを務めた。1935年(昭和10年)善行院住職。1938年(昭和13年)皇道仏教行道会を設立し、宗内紛争が起きる。1954年(昭和29年)霊断師会を設立。1957年(昭和32年)幸龍寺住職。宗務院の庶務主事・教学主事・総務主事を歴任し、布教師会本部理事、教学審議会委員を務めた。1966年(昭和41年)4月8日死去。(日蓮門下仏家人名辞典ほか)
  • 2高佐日明(?-2013):高佐重長。天晴院。正法寺貫首347世。幸龍寺住職。善行院住職。2代総裁。首導。相伝主。2013年(平成25年)2月15日死去。
  • 3高佐日瑞():高佐英長。幸龍寺住職。2018年(平成30年)本遠寺貫首66世。相伝宗主。聖徒団首導。

会長

  • 路次泰元()<>:
  • 草野法界(?-2018)<2010-2018>:
  • (伊丹日章)()<2018-2019>:会長代行。本満寺貫首。
  • 堀江宏正()<2019->:島根県太田市法蔵寺住職。2019年(令和1年)3月就任。

関連寺院

  • 幸龍寺:東京都世田谷区北烏山。
  • 善行院:東京都墨田区太平町。
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