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木曽駒ケ岳 - SHINDEN

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木曽駒ケ岳

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2016年3月17日 (木)

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木曽駒ケ岳(きそ・こまがたけ)は、長野県の木曽と伊那の間にある霊山。木曽御嶽信仰の影響を受けている。木曽山脈(中央アルプス)の一山。標高は2956m。(参考:同名霊山駒ケ岳


由緒によると、徳原春安が1534年(天文3年)に山頂に保安大神と豊受大神を祀り、麓の徳原に里宮を建てたとされる(上松里宮立札)。1804年(文化1年)に下諏訪の寂本が開山した。寂本は、宝剣岳に登り、山頂に鉄の錫杖を奉納したという。開山当初から木曽御嶽信仰の影響を受けていたのかどうかは未解明とされている(『修験と神道のあいだ』91)。また尾張犬山の心明が登拝して乾山講を開いた。また普明も木曽駒ケ岳を中興開山したと言われている(『修験と神道のあいだ』90、鈴木昭英「八海山行者の木食・断食」)。明治になり、上松里宮社家の徳原一学が布教に務め、農業商工業者の支持を得た。

山上には駒ケ岳に木曽奥宮伊那奥宮がある。また中岳には御嶽神社がある。

登山道は木曽側に二つと伊那側に二つ、計三つある。木曽側には上松口、伊那側には、桂木場口と宮田口がある。

木曽側の上松口は、上松宿に入口があり、駒ケ岳大神宮碑や心明霊神碑などがある。上松里宮の駒ケ岳神社が徳原にある。上松里宮には上松里宮霊神場や寂本神社がある。登山口には犬山乾山講社の霊神場がある。登山道には敬神の滝がある。山頂直前には心明霊神像があり、山頂には木曽奥宮がある。

桂木場口は伊那市荒井の内の萱から登り、将棊頭山を経由して、北側から駒ケ岳山頂に至る登山道である。桂木場口には登山口に桂木場里宮の駒ケ岳神宮がある。駒ケ岳神宮は1885年(明治18年)の創建だという。

宮田口は宮田村河原町から駒ヶ根市境界を出入りしながら大田切川沿いを遡って千畳敷スキー場を通って、宝剣岳、中岳を経由して、南側から駒ケ岳山頂に至る登山道である。宮田口には登山口に宮田里宮の「駒ケ岳里宮神社」がある。駒ケ岳里宮神社は1887年(明治20年)、「神風講社駒ケ岳会」教会所に中岳(ママ)の「駒ケ岳神社」の分霊を祀ったことが起源である。1894年(明治27年)に現在地に社殿が竣工。ロープウェイの千畳敷駅には駒ケ岳神社が祀られている。宝剣岳は寂本が錫杖を埋納したとされるところである。中岳には御嶽神社が祀られている(既述)。伊那奥宮は宮田に属するらしい。かつては無格社駒嶽神社で祭神は「天照大御神」とされていた。1810年(文化7年)高遠藩主が坂本天山に命じて再興したという(1921(大正10)『上伊那郡史』)。 (参考文献:『伊那毎日新聞』2008/4/17「里宮神社創建120周年、20日に例大祭」) (未見資料:宮田里宮の冊子、蟹江文吉「吾妻屋終治と寂本行者」『湖国新聞』2003年(平成15年)7/6、2003(平成15)『日本の石仏』106)

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