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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

木本八幡宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年6月11日 (日)

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木本八幡宮
きもと はちまんぐう
概要 応神天皇行在所旧跡に鎮座する八幡宮。日前・国懸神宮の旧跡。
所在地 和歌山市西庄1
所在地(旧国郡) 紀伊国海部郡
社格など 県社
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木本八幡宮(きもと・はちまんぐう)は、和歌山県和歌山市にある八幡信仰の神社。応神天皇紀伊上陸のときの行在所旧跡。あるいは日前・国懸神宮の旧鎮座地。祭神は、「応神天皇、神功皇后、日〓大神」である(『和歌山県神社誌』、『神道史大辞典』1105)。あるいは「神功皇后、応神天皇、姫大神」である(『紀伊続風土記』505)。県社


神武天皇東征のとき、天道根命が天照大御神の霊代を奉じて紀伊加太浦に上陸し、厳橿の木の本に奉斎したのが「木本宮」の始まりとされる(日前国懸神宮との関連は未調査)。また別に、神功皇后が新羅出兵より帰還のとき、応神天皇は南海ルートにて紀伊水門に到着し、芝原に行在所が設けられた。その後、欽明天皇23年に勅によって行在所跡に「芝原八幡宮」が創建された。現在の権殿の地であるという。1585年(天正13年)の豊臣秀吉の紀伊攻略によって両社とも焼失した。1618年(元和4年)、木本宮に芝原八幡宮を合祀して社殿を再建し、木本八幡宮と称したという。このときの社殿が現在の社殿である。1873年(明治6年)村社に列格し、1875年(明治8年)10月に県社に昇格した。(『紀伊続風土記』、『和歌山県神社誌』、『神道史大辞典』「府県社一覧」)

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