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本居宣長墓

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年12月22日 (木)

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平成の整備後の本居宣長墓
明治の整備後の本居宣長墓(1928年(昭和3年)『本居全集首巻』より)

三重県松阪市山室町高峰にある本居宣長の墓。山室山の妙楽寺の裏山にある。かつて山室山神社(本居宣長宮)があったが、松阪城跡に遷座した。松阪の浄土宗樹敬寺にも本居宣長墓(本居家墓地)がある。妙楽寺は樹敬寺の隠居寺だった。

  • 1800年(寛政12年)9月17日:本居宣長、山室山を巡る。のち再び山室山に赴く。
  • 1800年(寛政12年)11月18日:本居宣長、妙楽寺法誉宛書簡に山室山に墓所を定めたいと記す。
  • 1801年(享和1年)9月29日:本居宣長、死去。陽暦11月5日。
  • 1801年(享和1年)10月1日:夜、山室山に埋葬。三井高蔭が工事。
  • 1867年6月:加藤成次ら、平田篤胤歌碑建立。
  • 1871年(明治4年):門弟の川口常文(のち結城神社宮司)と野呂万次郎が、本居信郷、久世安庭らと共に山室山の本居宣長墓の傍らに祠を建て、山室山神社の前身となる。
  • 1875年(明治8年)3月21日:山室山神社鎮座。
  • 1889年(明治22年)9月26日:山室山神社、松阪市街地に遷座。
  • 1900年(明治33年):山室村有志や子孫が計画し、参道を大整備。墓所を修復。
  • 1901年(明治34年):本居宣長100年祭。
  • 1936年(昭和11年)9月3日:史跡指定
  • 1951年(昭和26年):本居宣長150年祭。牧戸正平歌碑と十三重塔を建立。
  • 2001年(平成13年)11月5日:本居宣長200年祭にあたり、墓域を整備。「遺言書」および「改正墳墓図」に基づき復元。石柵・石柱・花筒などを撤去移転した。牧戸正平歌碑と十三重塔も移転。


資料

  • 足立巻一1974「石たちの象徴・本居宣長之奥墓」[1]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%9C%AC%E5%B1%85%E5%AE%A3%E9%95%B7%E5%A2%93」より作成

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