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本願寺赤野井別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年11月28日 (土)
本願寺赤野井別院(ほんがんじ・あかのい・べついん)は滋賀県守山市赤野井町にある浄土真宗寺院。西本願寺の別院・御坊。浄土真宗本願寺派。寺号は顕証寺。赤野井御坊。(参考:同名寺院赤野井別院・顕証寺)
歴史
暦応年間(1338-1342)、存覚が創建したと伝える(異本反古裏書)。 文正年間(1466-1467)、専念寺観教が土地を蓮如に寄進して存覚の旧跡を復興したと伝える。 顕証寺蓮淳が兼務した。1464年(寛正5年)5月14日蓮如から赤野井惣門徒へ下付の親鸞絵伝があり、地域の門徒を中心に創立されたものとみられる。 1477年(文明9年)、赤野井門徒の代表の慶乗に連座御影を下付(京都西法寺に現存)。 1498年(明応7年)蓮淳に下付した親鸞御影、「本願寺前住釈蓮如」銘のある寿像の蓮如御影などがある。
本願寺の東西分裂では西本願寺に付いたが、御堂を管理する一人だった専念寺の伊賀坊了誓が離れて別に御堂を建てた。これが真宗大谷派赤野井別院の起源という見方もある。 近世には顕証寺通寺などと呼ばれた。 1757年(宝暦7年)本堂再建。
(日本歴史地名大系ほか)
関連旧跡
- 釈迦堂:滋賀県守山市赤野井町。東別院の北側にある。地域で護持しているとみられる。元は庄屋の諏訪家屋敷の一部か。2013年(平成25年)再建。常楽寺。隣に閼伽井があり、赤野井の地名の起源といわれる。
- 赤野井蓮如堂:滋賀県守山市赤野井町。釈迦堂の東側にある。地域で護持しているとみられる。自治会館とみられる。
- 専念寺:滋賀県守山市赤野井町。東別院の東にある。真宗大谷派。観教、伊賀坊了誓などがいた。了誓は六条堤を築いた。山号は龍洞山。
- 常照寺:滋賀県守山市赤野井町。西別院の西にある。浄土真宗本願寺派。1508年(永正5年)、唯念の創建。1630年(寛永7年)寺号と木仏を許可された。山号は摂取山。
- 福正寺:滋賀県守山市赤野井町。西別院の南にある。浄土真宗本願寺派。1464年(寛正5年)頃、創建という。赤野井の石原新助が蓮如に帰依して正賢を名乗り十字名号を下付された。同年下付の親鸞御影が現存し、裏書に「本尊」とあるのが注目されている。正存、正善、正祐、因幡坊願専と継承された。1682年(天和2年)証徳寺の寺号を許可され、1713年(正徳3年)、福正寺と改称した。山号は金剛山。
- 箸塚:滋賀県守山市赤野井町。東西別院の西480mにある。蓮如が赤野井に上陸して食事した時に使った箸を立てたところ柳の木となったという。
- 小津若宮神社:滋賀県守山市赤野井町。東別院の東にある。小津神社の御旅所。
- 善照寺:大阪府守口市下島町。赤野井にあった三橋道場を起源とするという。浄土真宗本願寺派。
- 聞光寺:滋賀県守山市矢島町。性妙が1459年(長禄3年)7月に建てた荒見道場が起源という。1464年(寛正5年)11月28日付の連座像裏書に「阿伽井性賢門徒」とあり、赤野井善照寺6世の性賢の配下だったとみられる。1466年(文正1年)蓮如が聞光寺で報恩講を行った(『金森日記抜』)。浄土真宗本願寺派。山号は仏寿山。
- 西蓮寺:滋賀県草津市上寺町。1465年(寛正6年)蓮如が避難した赤野井の慶乗の道場が起源という。真宗大谷派。1735年(享保20年)本堂再建。