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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

朱印拝領神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2011年11月15日 (火)

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江戸時代

徳川家康から家光の時代にかけては特殊な社寺にのみ与えられたが、1665年(寛文5年)にその範囲は拡大された。

まず家康は江戸入府に際して、1591年(天正19年)、関東八州の神社に寄進状を送り、市原八幡宮、鶴岡八幡宮、香取神宮、大国魂神社、氷川神社などに寄進した。慶長年間には豊国神社、筑波山神社、相模大山、伯耆大山、戸隠などに寄進した。 1617年(元和3年)、秀忠の時代になって、伊勢春日にも寄進した。家光の1648年(慶安1年)3月、まだ朱印ない神社の182ヶ所に下付し、10月、前代より朱印がある千箇所に下付した。各地の社寺に朱印が下され、17日に334通、18日に348通、19日に354通が発行されたことが『大猷院殿御実紀』に記されている。

1665年(寛文5年)、二代三代の朱印を持つものには跡目、一代のみだと50石以上のものに跡目を認めることとした。1665年(寛文5年)の時点では朱印拝領の寺院、合計で3678箇所、石高18万1730石、神社では神社985箇所、15万1924石が認められていたという。1760年(宝暦10年)に至り、前代より朱印地を持っているところは全て下付されることとなった。

寺院の朱印地に関して幕末の天保年間の文献によると、朱印地が下された寺院は天台宗360寺、真言宗110寺、浄土宗91寺、禅宗146寺、日蓮宗45寺、浄土真宗44寺であったという。

参考文献:

  • 安藤正純 1923(大正12)『政治と宗教の関係』189-190
  • 『神社制度史の研究』187


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