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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

東大寺東照宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年4月20日 (月)

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東大寺東照宮(とうだいじ・とうしょうぐう)は、奈良東大寺にあった東照宮。明治維新とともに手向山八幡宮に遷座。旧社殿は聖武天皇を祀る天皇殿になった。東大寺関連旧跡も参照。

歴史

江戸時代、東大寺は大仏殿再興に取り掛かるにあたり、幕府の庇護を得るため東照宮を祀ることにした。寺社奉行松平丹後から許可を得て1700年(元禄13年)2月6日に鎮座。これは仮宮だったのか、改めて奈良奉行の主導で12月26日から本格造営に入り、1701年(元禄14年)9月15日、手斧始。同年4月17日に御神体となる画像が描かれた。東大寺別当の勧修寺宮済深法親王の周旋により、明正天皇の旧殿の賢所を移したという。1702年(元禄15年)5月23日に上棟式。26日、庸性を導師に落慶法要を営んだ、善性院客殿を移した宸殿が付属し、宝山寺湛海作の薬師如来聖宝を祀った。1763年(宝暦13年)3月、奥芝町から出火した大火で焼失。維新の時に手向山八幡宮内に遷された。(『東大寺辞典』)

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