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松前護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年5月15日 (水)
松前護国神社(まつまえ・ごこく・じんじゃ)は、北海道松前郡松前町松城にある招魂社。官祭招魂社。指定外護国神社。檜山護国神社と同様に松前藩松前家が創建した。官祭祭神に女性を含む。神止山招魂場、馬形上招魂社、福山招魂社、福山護国神社。 福山官修墳墓が隣接。(参考:同名神社福山護国神社)
目次 |
歴史
『靖国神社誌』には1869年(明治2年)10月創建とある。
- 1869年(明治2年)5月10日:神止山に招魂所を設置することを命じる。達しの全文あり[1]。
- 1869年(明治2年)5月20日:松前藩、仮埋葬8人を改葬して招魂場を設置。21日に達す[2]。
- 1869年(明治2年)8月:上磯官修墳墓から松前藩士4人を改葬[3]。
- 1869年(明治2年)9月14日:各寺院に仮埋葬の官軍戦死者を招魂場に改葬[4]。
- 1869年(明治2年)10月1日:盛大な慰霊祭。3日まで。[5](11月とも)
- 1869年(明治2年)10月8日:竣工して3日間大祭を行う。57人の墓標を立てる。。江差相撲山招魂場埋葬者27人の遺品を(福山官修墳墓に?)収める(。[6]
- 1869年(明治2年)10月18日:招魂祭を斎行[7]。60人を埋葬し、その上に墓碑を立てる。
- 1870年(明治3年)10月20日:招魂所で神祭[8]
- 1873年(明治6年)5月25日:漁民蜂起。開拓使出張所に赴く前に招魂場に集まっている[9]。
- 1873年(明治6年)6月10日:招魂祭。「暴動後人気平穏ならしめんが為種々之賑筋を興行」という[10]。
- 1873年(明治6年)6月30日:次官が招魂場を参拝[11]。
- 1876年(明治9年)4月17日:福山・江差の招魂場を招魂社とする[12][13][14]。墳墓地と分離。
- 1877年(明治10年):社殿を造営。[15]
- 1888年(明治21年)4月23日:子爵松前修広、福山招魂社に参詣。墓碑一つ一つに対し、戦死の様子を聞きながら丁寧に礼拝したという。[16]
- 1915年(大正4年)2月14日:御大典記念に神止山に赤松250本を植樹[17]。
- 1934年(昭和9年)1月9日:日清戦争・日露戦争の戦没者8柱を私祭祭神として合祀。[18][19]
- 1939年(昭和14年)3月:護国神社制度の施行と共に福山護国神社と改称。神饌幣帛料供進神社に指定される。[20][21]
- 1942年(昭和17年)4月:松前護国神社と改称[22]。
- 1957年(昭和32年)7月26日:松前町戦傷没者慰霊碑が竣工[23]。
祭神
官祭祭神
- 一覧は「「箱館戦争における福山招魂社官祭人名一覧」」[24]に基づく。
- 官祭祭神は60柱。この数は1922年(大正11年)8月現在の「官祭招魂社並官修墳墓取扱手続」[25]で定められた定額75円から導き出せる神饌料の人数と一致する(定額45円+神饌料50銭*60=75円)。
- 内訳は松前藩士51柱、役夫3柱、民兵4柱、歩卒妻1柱、伊州藩士1柱。
- 01:池田修也:
- 02:村上温次郎:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
- 03:田崎東:
- 04:藤岡庄七:
- 05:犬上譲次郎:大野官修墳墓に墓碑。
- 06:田村量吉:
- 07:新井田貞治:
- 08:蠣崎龍衛:
- 09:宮嶋磯之烝:
- 10:天野啓次郎:
- 11:富山刑部:
- 12:森簾左衛門:
- 13:田原音八:
- 14:島崎房五郎:
- 15:小川悦之進:
- 16:平尾鉄蔵:
- 17:平野安五郎:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
- 18:下国録之進:
- 19:田村和鬼也:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
- 20:鎌田雄五郎:
- 21:大場忠左衛門:大野官修墳墓に墓碑。大場忠右衛門。
- 22:田中作右衛門:
- 23:福井佐五六:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
- 24:小西浩太郎:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
- 25:西村定太郎:
- 26:田中宇吉:
- 27:高橋二太郎:
- 28:遠藤駒蔵:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。敬蔵。
- 29:原水甚左衛門:
- 30:平尾民五郎:
- 31:上田三平:
- 32:松江宇八:
- 33:荒井幾三郎:
- 34:田中量作:
- 35:難波藤次郎:
- 36:工藤元三郎:松前藩。1869年(明治2年)4月17日戦死。
- 37:大城角太郎:
- 38:桜井金七郎:
- 39:高畑喜六:大野官修墳墓に墓碑。
- 40:菊池多作(菊地多作):大野官修墳墓に墓碑。
- 41:広田忠蔵:
- 42:鈴木順蔵:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
- 43:山崎才治:大野官修墳墓に墓碑。
- 44:田村粂太郎:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
- 45:川村元蔵:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
- 46:溝江寛三:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
- 47:山岡喜八郎:
- 48:三浦此二:
- 49:中村小八:
- 50:日角牧二(日角牧三):大野官修墳墓に墓碑。日角収三。
- 51:藤田璉蔵:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
- 52:神崎珍太郎:
- 53:浅野吉之助:
- 54:武藤幸右衛門:
- 55:中川菊四郎:
- 56:太田直吉:
- 57:寺田治助:
- 58:能登谷房吉:
- 59:川内美岐:靖国女性祭神の初という。
- 60:松山平四郎:
不詳
- 杉村玄英:松前藩。1869年(明治2年)4月11日戦死。
- 今井由膳:松前藩。1869年(明治2年)4月17日戦死。
- 桜井長三郎:松前藩。1869年(明治2年)4月13日戦死。
画像
参考
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資料
- 『松前町史通説編1』「幕末の神道」[27]
- 『松前町史通説編1』「松前藩兵の戦死者」[28]
- 『松前町史通説編2』「福山招魂社の創建」[29]
- 『松前町史通説編2』「箱館戦争における福山招魂社官祭人名一覧」[30]
- ウェブサイト『戊辰掃苔録』「神止山招魂場」[31][32]
- 「神止山祭典ノ件壬申四月」:青森県福山出張所の公文書か[33]。不詳。
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