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後崇光太上天皇陵

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年7月5日 (火)

松林院陵から転送)
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後崇光太上天皇陵-05.jpeg
背中合わせに近接する菩提寺の松林院

京都府京都市伏見区丹後町にある後崇光太上天皇(伏見宮貞成親王、後崇光院)の陵墓伏見殿関連。菩提寺の松林院に背中合わせで近接する。伏見松林院陵

貞成親王(1372-1456)は伏見宮第3代当主。『看聞御記』の著者として知られる。1428年(正長1年)、称光天皇が崩御し、親王長男の彦仁親王(後花園天皇)が即位。1447年(文安4年)11月27日、太上天皇の尊号を受けたが翌年2月に辞退した。貞成親王は伏見から東洞院御所に移り1456年(康正2年)8月29日、崩御。1456年(康正2年)9月4日、伏見大光明寺で火葬された。

現在の比定地は、伏見殿(下御殿)の跡地であり、後深草天皇が崩御した地であることから、幕末「文久の修陵」では谷森善臣の考証に基づき1865年(慶応1年)、後深草天皇の火葬塚として整備された。しかし、同地を後崇光院の陵墓とする伏見宮家の伝承(「山陵考」に寺僧の説として記載)から、1903年(明治36年)に「御陵墓伝説地」(国史大辞典では1905年(明治38年))となり、1917年(大正6年)7月に後崇光太上天皇の陵墓に治定。隣接する寺の名から伏見松林院陵と命名された。月橋院過去帳にも「松林院に御墓所あり」とあるという。松林院の本尊阿弥陀仏は後崇光院の念持仏であり、後崇光院の位牌を祀るという(京都府伏見町誌)。 (『国史大辞典』、『文久山陵図』224・同所収「山陵考」281-283・「文久山陵図便覧」)

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