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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

武尊山

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2014年8月24日 (日)

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武尊山


登山道は不正確なものです。


目次

概要

由緒

歴史

構成

武尊山
名称 所在地 コメント
武尊山花咲口 武尊神社 群馬県利根郡片品村花咲2021 武尊神社の総本社。祭神は、日本武尊ほか23柱(『片品村史』)。1276年(建治2年)の創建という(岡田敏夫 1985(昭和60)『上州武尊山』261)。利根郡七十六村の総鎮守と呼ばれた(同上)。1548年(天文17年)に武田信玄が鰐口を奉納したという(以下『片品村史』)。1691年(元禄4年)に社殿を再建した記録がある。1875年(明治8年)村社となった。1908年(明治41年)に諏訪神社を始め、近隣の神社28社を合祀した。1904年(明治37年)には講社を結成している。1916年(大正5年)神饌幣帛料供進神社に指定された。このころ社殿改築を行い、井上円了揮毫の記念碑が建てられている。「武尊神社本殿」は片品村指定重要文化財に指定されている。また旧暦九月の中申の日に行われる神事は、「片品の猿追い祭」として国重要無形民俗文化財に指定されている。(1963(昭和38)『片品村史』)
武尊山花咲口 花咲山法称寺 群馬県利根郡片品村花咲 武尊山別当を勤めた本山派修験寺院。普寛直弟子の義謙が住した寺院。普寛の分骨所。本尊は不動明王。中世に秀泉(-1470)によって創建されたという。あるいは、華厳坊または千蔵坊本性寺という前身となる寺院があったともいう(岡田敏夫 1985(昭和60)『上州武尊山』263)。1800年(寛政12年)、熊野三山検校宮(聖護院門跡)より武尊大神別当に補される。1801年(享和1年)に普寛の分骨が武尊山に納められているが(『木曽御嶽信仰』217)、法称寺に納められたのかもしれない(現在は法称寺に伝存)。1869年(明治2年)に還俗。元法称寺住職は、しばらく武尊神社に奉職したが、1877年(明治10年)に、無住の福泉寺に入り、両寺は合併し、「武尊山法称寺」と称した。現在は天台寺門宗に所属するという。普寛の弟子、義謙は当寺住職であった。(『修験と神道のあいだ』302-305)
武尊山花咲口 武尊山福泉寺 群馬県利根郡片品村花咲1124 武尊山別当を勤めた本山派修験寺院。本尊は不動明王。1610年(慶長15年)中興(1963(昭和38)『片品村史』)。1801年(享和1年)3月に武尊山別当に補されたという。1873年(明治6年)に無住となった。1877年(明治10年)に元法称寺住職が入ったことで、両寺は合併し、「武尊山法称寺」と称した。現在は天台寺門宗に所属するという。「上州屋」という民宿をしているという(岡田敏夫 1985(昭和60)『上州武尊山』263)。(『修験と神道のあいだ』302-305)
武尊山花咲口 御沢の水場 群馬県利根郡片品村 武尊山山内 前武尊中腹にある水場。かつて行者が身を清めたところだという。岡田敏夫 1985(昭和60)『上州武尊山』183
武尊山花咲口 前武尊 群馬県利根郡川場村 武尊山山上 武尊山の峰の一つ。普寛が開いたときの武尊山山頂。標高は2040m。1795年(寛政7年)7月2日、普寛は武尊山山頂(前武尊)に登頂し、武尊山を開山する。1797年(寛政9年)には法称寺により石仏が祀られた(『木曽御嶽信仰』217)。1850年(嘉永3年)に日本武尊像が建立される。山頂直下には広山が建立した普寛石像がある。『修験と神道のあいだ』305、『木曽御嶽信仰』217
武尊山花咲口 剣ケ峰 群馬県利根郡川場村 武尊山山上 武尊山の峰の一つ。普寛開山の際には奥の院とされ、「北斗之北辰妙見大菩薩」を祀るところとされた(『修験と神道のあいだ』305、310)。2、3の峰があり、南側の本峰には普寛霊神碑がある。ただし本峰は近年一部崩落している状態である。北峰に祠があることが確認できる。峰には「日乃神」、あるいは「北斗妙見」「摩利支天」「大日」が祀られているという(岡田敏夫 1985(昭和60)『上州武尊山』276)。
武尊山花咲口 山頂 群馬県利根郡川場村 武尊山山上 武尊山山頂。御嶽山大神の碑と日本武尊像がある。
武尊山川場口 武尊山教会 群馬県伊勢崎市波志江町1980 深沢心明の系譜を継承する教会。深沢心明(1873(明治6)-1939(昭和14))は、1888年(明治21年)(あるいは1890年(明治23年))に武尊山川場口登山道を開き、最高峰沖武尊を開山した。その後、1892年(明治25年)に武尊講社を設立(『波志江町の民俗』1984、97)。1936年(昭和11年)には講社員2万人に達したとされる。川場村、北橘村、横野村などに支教会があったという。(『木曽御嶽信仰』217・237、岡田敏夫 1985(昭和60)『上州武尊山』275、『伊勢崎の近世石造物』659-701、1984『波志江町の民俗』90・97・107、1977『今井善一郎著作集』 民俗編28・36。『目で見る沼田・渋川の100年 沼田市・渋川市・利根郡・北群馬郡・北橘村・赤城村』に深沢心明の写真があるらしい。)
武尊山川場口 旭小屋 群馬県利根郡川場村 武尊山山内 現在の川場口登山口にある避難小屋。隣に深沢心明の弟子とされる野島冨明(?-1976(昭和51))の行小屋があったが没後、破却された。石仏が残っている。
武尊山川場口 賽の河原 群馬県利根郡川場村 武尊山山内 川場口の登山道にある区画。霊神碑などがある。
武尊山川場口 不動岳 群馬県利根郡川場村 武尊山山上 武尊山の峰の一つ。不動明王が祀られている。
武尊山川場口 前武尊 群馬県利根郡川場村 武尊山山上
武尊山川場口 川場剣ヶ峰 群馬県利根郡川場村 武尊山山上
武尊山川場口 沖武尊 群馬県利根郡川場村 武尊山山上 武尊山の最高峰であり、現在の武尊山山頂。標高は2158m。1888年(明治21年)8月に伊勢崎出身の深沢心明が川場口登山道を通り、沖武尊を開いた(『波志江町の民俗』 97によると、1887年(明治20年)に志して、3年後に開いたともいう。)。山頂には御嶽大神碑を祀る。山頂直下には1890年(明治23年)建立の日本武尊像を祀る(岡田敏夫 1985(昭和60)『上州武尊山』277。『木曽御嶽信仰』217には1889年(明治22年)とある。また『波志江町の民俗』 97によると、1890年(明治23年)6月に山上に社殿を創建したともいうが、現在確認できない。)。日本武尊像の傍らに深沢心明や野島冨明の碑があるという。(『木曽御嶽信仰』217)
武尊山藤原口 藤原武尊神社 群馬県利根郡みなかみ町藤原918 藤原口の里宮。藤原口が開かれたのは明治中期のことだという。かつてはここまで女人禁制だったという。(岡田敏夫 1985(昭和60)『上州武尊山』269、277)
武尊山藤原口 裏見の滝 群馬県利根郡みなかみ町 武尊山山内 藤原口の滝場。巨大な滝となっている。傍らには祠がある。

文献

画像

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