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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

武蔵国分寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2015年9月27日 (日)

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武蔵国分寺(むさし・こくぶんじ)は、武蔵国多摩郡にあった古代国分寺の一つで、敷地・伽藍とも全国でも最大の規模を誇った。跡地は、東京都国分寺市西元町にある寺院跡に確定している。域内に現存寺もある。

武蔵国府跡にある武蔵総社大国魂神社から北北西2.8kmのところに位置する。国府と東山道を結ぶ古代官道沿いにある。昭和31年(1956)からの発掘調査で確認されている寺域は1.5km四方。金堂、講堂、鐘楼、経蔵、僧坊を中門から伸びる築地が囲む遺構が発見されている。金堂は幅約36m、奥行約17m、講堂は幅29m、奥行17mと諸国国分寺の中で最大の規模であった。講堂はのち金堂と同じ規模で再建された。金堂から200m離れた東南には10m四方の二つの塔跡が見つかり、東側のものは礎石も現存する。高さ60mの七重塔があったと推定されているが、二つの塔跡の関係は不詳。武蔵国分尼寺の跡地は、官道跡と現府中街道を挟んで南西440mにある。 調査結果によれば、8世紀末までに主要な建物が完成し、10世紀中頃から衰退したという。続日本紀に承和2年(835)には落雷で七重塔が焼失したことと10年後に再建許可の記事がみえる。治安3年(1023)に修造したという。現存寺の由緒によれば、南北朝時代に分倍河原の戦いで焼失したという。金堂跡から北200mにある現存寺の薬師堂に祀られている薬師如来像は、古代国分寺に祀られていたもので、兵火の際に独りでに飛び出し被災を免れたという。

国分寺には、鎮守として八幡宮が祀られることがあるが、大国魂神社のそばの国府八幡宮は国分寺鎮守としては離れ過ぎている。

参考文献

  • かみゆ歴史編集部編、2014『国分寺を歩く』イカロス出版
  • 武蔵国分寺跡資料館資料
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%AD%A6%E8%94%B5%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA」より作成

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