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江良神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年8月18日 (日)
(江良招魂社から転送)
江良神社は山口県山口市三の宮にある招魂社。仁壁神社内。官祭招魂社。指定外護国神社。江良招魂社、江良招魂場、宮野下招魂社、宮野招魂社、江良護国神社。江良官修墳墓が併設されていたか。
- 1867年(慶応3年)5月:藩主毛利敬親の命で代官の大津唯雪が、山口宰判の管内の戦死者を祀るために現山口市江良に開設。四境戦争と戊辰戦争の戦死者9柱を祀ったという。
- 1870年(明治3年)9月23日:防長最初の合同慰霊祭を実施。藩庁県庁所在地にあったため、招魂社の総社のように扱われた。
- 1874年(明治7年):江良招魂社と称する
- 1875年(明治8年)6月:官祭招魂社に指定(1959山口県文化史[1])。
- 1885年(明治18年)7月30日:明治天皇の山口行幸にともない、桑山招魂社、江良招魂社、吉敷招魂社に祭粢料を下賜[2]。
- 1939年(昭和14年)4月:護国神社制度により江良護国神社と改称。
- 1941年(昭和16年):近くに山口県護国神社創建
- 1947年(昭和22年)2月28日:江良神社と改称
- 1955年(昭和30年)9月13日:仁壁神社境内に遷座。
- 1962年(昭和37年)10月13日:旧鎮座地に防長英霊塔を建立。
祭神
- 1田代三之進:遊撃隊。1868年(明治1年)戊辰戦争で伏見で負傷し、4月24日、山口で戦傷死。33歳。田代三之丞義孝。江良官修墳墓。京都東福寺招魂社祭神。靖国神社合祀。
- 2平野光次郎:膺懲隊参謀。1868年(明治1年)戊辰戦争で山城八幡で負傷し、3月14日山口で戦傷死。24歳。贈正五位。江良官修墳墓。三本松霊園に移設か[5]。京都東福寺招魂社祭神。麻郷護国神社祭神?靖国神社合祀。
- 3原川助右衛門:1868年(明治1年)戊辰戦争で淀で負傷し山口で戦傷死。享年不詳。江良官修墳墓。京都東福寺招魂社祭神。忠魂史では淀城で戦死扱い。靖国神社合祀。
- 4好兵衛:奇兵隊小者。1868年(明治1年)戊辰戦争で淀で負傷し、閏4月7日、山口病院で戦傷死。江良官修墳墓。京都東福寺招魂社祭神。靖国神社合祀。
- 5山県芳輔:1868年(明治1年)戊辰戦争で越後妙見峠で負傷し山口で戦病死。28歳。義元。忠魂史では死去日空欄。江良官修墳墓。靖国神社合祀。
- 6依義帰忠:奇兵隊。1868年(明治1年)戊辰戦争で越後今道で負傷し9月29日、山口病院で戦傷死。29歳(忠魂史では23歳)。江良官修墳墓。依義復忠道か。靖国神社合祀。
- 7柴田平助:整武隊。1868年(明治1年)戊辰戦争で2月5日青森で死去。40歳。政勝。青森三内霊園に官修墳墓。靖国神社合祀。
- 8佐伯武次郎:奇兵隊。1866年(慶応2年)四境戦争で豊前赤坂で負傷し、1869年(明治2年)3月14日、山口病院(忠魂史では湯田)で戦傷死。29歳(忠魂史では21)。下松招魂社私祭祭神。靖国神社合祀。
- 9渡辺義輔:1838年(天保9年)生。1870年(明治3年)2月15日、脱隊騒動で反乱兵を鎮圧中に戦死。33歳。墓は萩満行寺。贈従五位(国民過去帳[6])(1934山口県史上[7])。山口県風土誌や宮野八百年史など他の資料には記載ない。