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添上・円照寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年10月15日 (月)

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円照寺(えんしょうじ)は、奈良県奈良市(大和国添上郡)にある臨済宗尼門跡寺院。本尊は如意輪観音。中山みき旧跡臨済宗妙心寺派大和三門跡の一つ。山村御所八島御所八嶋御所)。山号は普門山。(参考:同名寺院円照寺


歴史

後水尾天皇第一皇女の梅宮は鷹司教平に嫁したが3年で離別。梅宮は臨済宗の一糸文守に帰依し出家。大通文智と名乗った。1641年。修学院離宮に傍に円照寺を建てたが1656年、大和国の八島村に移転。さらに1669年に山村に移転した。近くの山村廃寺の出土品を所蔵。(日本歴史地名大系)

組織

住職

円照寺宮墓地に葬られた。

  • 1大通文智女王(1619-1697)<>:後水尾天皇皇女。1619年(元和5年)生。梅宮。1697年(元禄10年)1月18日死去。深如海院宮。
  • (大観文察女王)(1654-1683)<>:後水尾天皇皇女。1654年(承応3年)生。光照院門跡。1683年(天和3年)6月1日、継承前に死去。脱山真誉。瑞慶尊賀。宝池光院宮。
  • 2大歓文喜女王(1693-1702)<>:霊元天皇皇女。1693年(元禄6年)生。1702年(元禄15年)10月23日死去。菩提心院宮。
  • 明山瑞光女王(1674-1706)<>:後西天皇皇女。1674年(延宝2年)生。慈受院門跡が本務だったので歴代には数えていないようだ。1706年(宝永3年)死去。大円宗悟。(『比丘尼御所諡号考』になし)
  • 3大寂永応女王(1702-1754)<>:霊元天皇皇女。1702年(元禄15年)生。大聖寺門跡から移る。1754年(宝暦4年)死去。文応。(『比丘尼御所諡号考』になし)
  • 4大徹文亨女王(1746-1770)<>:有栖川宮職仁親王王女。桜町天皇猶子。1746年(延享3年)7月12日生。1770年(明和7年)7月4日死去。歓喜心院宮。
  • 5大機文乗女王(1787-1846)<>:有栖川宮織仁親王王女。光格天皇猶子。1787年(天明7年)1月16日生。当初は中宮寺門跡に入る予定だったが、1770年(明和7年)大聖寺門跡に入る。1846年(弘化3年)6月22日死去。大儀文成女王?常応心院宮。
  • 天厳永皎女王(1732-1808)<1770-1808>:中御門天皇皇女。大聖寺門跡が本務だったので歴代には数えていないようだ。
  • 6大知文秀女王(1844-1926)<>:伏見宮邦家親王王女。1844年(弘化1年)生。1926年(昭和1年)死去。
  • 文孝秀山(-1939)<>:近衛秀山。1939年(昭和14年)死去。
  • 文線静山(-1995)<-1957->:山本静山。1995年(平成7年)死去。
  • 村上亮順()<>:


大機文乗女王まで『比丘尼御所諡号考』

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