ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。
歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

源信旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年7月19日 (水)

移動: 案内, 検索

源信(げんしん)(942-1017)は、浄土教で功績を残した天台宗僧侶卜部氏。大和国葛城郡出身。天台密教恵心流の祖。良源の弟子。浄土真宗の七高僧の一人。首楞厳院検校9世。主著『往生要集』は、浄土教を重視する日本仏教の展開に決定的な影響を与えた。迎講(練り供養)を創始したことでも知られる。恵心僧都墓所比叡山にある。忌日法要は源信忌、恵心忌と呼ばれる。

目次

略歴

天慶2年(942)、大和国葛城下郡、現在の奈良県葛城市当麻周辺に生まれる。父は占部正親、母は清原氏。母が高雄寺の観音像に祈願して誕生したとされる。3人の姉妹がおり、二人は尼となり願西と願証と称した。

故郷にある当麻寺が浄土教の聖地だったことはその後の歩みに影響を与えたと推測される。出家の経緯は分からないが、信心深かった母の影響が指摘されている。

年ははっきりしないが、10代で比叡山横川に入り、良源に師事した。ちょうど良源が横川復興を進めた時期に重なる。後年、朝廷の論義法要で得た褒賞を母に送ったところ、母は遁世修行を望むと嘆いた逸話が有名だ。康保3年(966)、師の良源が天台座主となる。広学竪義を経て天延2年(974)5月8日、宮中での論義に出仕。この時、議論を交わした相手は奝然だった。

当時、既に浄土教を信奉する僧のグループが生まれ始めており、源信の周辺にも慶滋保胤、増賀や性空といった遁世を望む僧俗がいた。『往生要集』は彼らへの指南書として書かれた。

『往生要集』が完成した翌年の寛和2年(985)、二十五三昧会が始まる。横川の僧侶が集まり臨終行儀を実践する集いで、まもなく源信も加わる。慶滋保胤がその指針となる「起請八箇条」を起草。源信も続けて「起請十二箇条」を記した。

永延元年(987)、九州に向かう。博多で宋の商人に出会い、自分や知人の著書を託した。

正暦2年(991)9月、中国の雲黄山双林寺の行辿という僧から往生要集を受け取った旨の手紙が届いた。手紙は北宋の淳化元年(990)4月付だった。『往生要集』は国清寺にまで送られ賞賛されたという。入宋した慶滋保胤や寂照は同寺に往生要集があったことを報告している。

寛和元年(985)に師の良源が死去。跡を継いだのは源信の兄弟弟子に当たる尋禅だった。兄弟子の尋禅から良源の始めた四季講の運営を託された。四季講は春に涅槃経、夏に華厳経、秋に法華経、冬に大集経を講義する法要。横川の学問興隆の中心的役割を担う。この頃から朝廷からも重用されるようになる。永延2年(987)10月、横川の堂塔を新造するが、大江為基に助力をこうた。同年、内供奉十禅師。長保3年(1001)仁王会に出仕した。

しかし寛弘2年(1005)権少僧都を辞任。以降、隠棲を志す。翌寛弘3年(1006)、横川に華台院を創建。華台院には丈六の阿弥陀仏を祀り、迎講を始めた。全国で行われている練り供養の起源とされる。また華台院の南に霊山院を建て釈迦講を組織。生身の霊山釈迦として供養を行なったが、これは同じく生身の釈迦の信仰で興隆してきた清凉寺への対抗として建てられたともいう。清凉寺を建てた奝然は愛宕山を比叡山に対抗する仏教の拠点にすることを企てていた。

他に地蔵像の造立の逸話が著名。戒心谷の知見坊に祀られた。多数の納入品があるのが特徴。臨終の時に阿弥陀仏とともに現れ、また地獄にいる衆生を救うとされた。原像は現存しないが、模像が清凉寺、寂光院、金剛心院、ケルン東洋美術館に伝わる。

寛仁元年(1017)6月10日死去。少し前から体調を崩し、臨終の準備を整えていたが、阿弥陀仏の手に結ばれたひもを持ち、念仏を唱えながら、眠るように静かに息を引き取ったという。

同時代の藤原道長は直接的な交流はなかったものの、源信に私淑し、『往生要集』を読み、臨終行儀の方法に従い、最期を迎えた。

『往生要集』は後世に多大な影響を与え、浄土宗、浄土真宗、時宗などの成立の基礎となった。源信の著作に基づく、浄土図、阿弥陀図、地獄図が多数作られた。

一覧

故郷

  • 源信生誕地:奈良県香芝市にある生誕地の伝承地の一つ。典拠は不明だが石碑が立つ。近くには伝説がある阿弥陀橋がある。
  • 阿日寺:奈良県香芝市にある浄土宗寺院。生誕地の伝承地の一つ。恵心堂に両親の位牌を祀る。両親の墓がある。
  • 高雄寺観音堂:奈良県葛城市にある浄土真宗寺院。母がこの寺の観音堂に祈願して源信が生まれたと伝える。寺はあるが観音堂は廃絶。観音堂跡地には石碑が立つ。
  • 当麻寺:奈良県葛城市にある南都・浄土教の寺院。古くから浄土教の聖地であり、源信が影響を受けた可能性がある。現在伝わる来迎会は源信の創始とも伝える。
  • 吉田寺:奈良県生駒郡斑鳩町にある浄土宗寺院。源信創建と伝える。本尊は源信作という。
  • 福応寺:奈良県香芝市にある浄土宗寺院。源信の創建という。本尊は源信筆の板絵という。

比叡山

比叡山延暦寺では師の良源が復興した横川(よかわ)地区を拠点とした。

  • 横川
    • 横川中堂:横川地区の本堂。首楞厳院。源信は検校9世を務めた。
    • 恵心院:兜率谷にある源信の住房。現在の本尊は阿弥陀如来。横川中堂の南側にある。定額寺。横川学頭で延暦寺三学頭の一つ。天台宗延暦寺派別格寺。
    • 華台院:兜率谷の本堂だった。廃絶。横川中堂の南東、恵心院の近くにあったという。
    • 霊山院:兜率谷にあった生身釈迦信仰の寺院。廃絶。源信墓の南方、行者道の傍にあったと伝わるが、正確な位置は不明。比叡山五別所の一つ。
    • 安楽律院:飯室谷にある浄土教・律宗の寺院。創建の翌年、源信が招かれ、念仏行法が始められた。本尊は源信作の阿弥陀三尊だったが焼失。
    • 源信墓:兜率谷にある。鳥居と共に簡素な石塔がある。
  • 坂本周辺
  • 大原
    • 三千院:京都府京都市左京区。本堂極楽院の本尊阿弥陀三尊は源信作と伝える。

京都周辺

  • 広隆寺:京都府京都市右京区。講堂の阿弥陀像を尊崇したという。
  • 本誓寺:京都府京都市右京区。本尊は源信作
  • 誓願寺:京都府京都市中京区。源信が参籠。
  • 安養寺:京都府京都市中京区。京都新京極。源信が創建。
  • 金戒光明寺:京都府京都市左京区。本尊「乙如来」は源信の最後の作という。
  • 法然院:京都府京都市左京区。本尊は源信作。
  • 清浄華院:京都府京都市上京区。阿弥陀堂本尊は源信作(日本歴史地名大系)
  • 泉涌寺即成院:京都府京都市東山区。泉涌寺塔頭。源信が創建。本尊は源信作。
  • 石峰寺:京都府京都市伏見区。本尊は源信作。
  • 山城・光明寺:京都府長岡京市。西山浄土宗総本山。阿弥陀堂本尊は源信作。
  • 恵心院:京都府宇治市。
  • 多田院:兵庫県川西市。源信に教化された多田満仲が創建。
  • 円教寺:兵庫県姫路市。友人の性空が建てた寺院で、源信も訪ねた。書写山。

関東ほか

史実ではないが、東国を訪れたという伝承がある。源信作と伝える像が点在する。

  • 誓願寺:東京都荒川区。源信が東国に降った時に創建
  • 善福寺:東京都港区。本尊は源信の作(江戸名所図会)。
  • 増上寺:東京都港区。本尊は源信作。
  • 伝通院:東京都文京区。本尊は源信作と伝える(江戸名所図会)。
  • 祐天寺:東京都目黒区。本尊は源信作(江戸名所図会)。
  • 深大寺:東京都調布市。本尊阿弥陀仏は源信作。
  • 杉本寺:神奈川県鎌倉市。本尊の千手観音3体のうち1体が源信作。
  • 普門寺:茨城県つくば市。本尊は源信作
  • 大御堂寺:愛知県知多郡美浜町。本尊は源信作(日本歴史地名大系)。

墓廟

御影

古い御影像は少ないが、浄土真宗で祖師を並べて描いた図に現れるのは初期に属する。

  • 入宋の御影:「入唐の御影」とも。聖衆来迎寺蔵。南北朝時代の作だが、最古の御影画像として、生前に宋に送られた御影を偲ばせるものとしてこう呼ばれる。他に延暦寺本、三千院本がある。

著書

  • 『白毫観法』:天元4年(981)。観想念仏、特に白毫観を勧める。
  • 『因明論疏四相違略註釈』:貞元3年(987)、同門の厳久の依頼で執筆。因明学の書。
  • 『往生要集』:永観2年(984)から寛和元年(985)4月まで執筆。
  • 『普賢講作法』:988年。
  • 『天台宗疑問二十七条』:天台宗の疑問をまとめ、入宋する弟子の寂照に託した手紙。寂照は延慶寺の四明知礼に渡し、回答を得た。
  • 『大乗対倶舎抄』:寛弘2年(1005)。大乗仏教の概説書。
  • 『一乗要決』:寛弘3年(1006)。
  • 『霊山院釈迦堂毎日作法』:寛弘4年(1007)7月3日付。
  • 『観心略要集』:寛弘4年(1007)。
  • 『阿弥陀経略記』:1014年。
  • 『極楽六時讃』:源信作と言われる。時宗では主要な和讃として用いられている。

著作は『恵心僧都全集』全5巻(1927-1928)に収録されている。

信奉者


資料

伝記

  • 『りょう厳院二十五三昧過去帳』:弟子の覚超が執筆
  • 『大日本国法華験記』所収:鎮源著。1043年
  • 『源信僧都伝』:大江佐国著。『過去帳』を元に補足。
  • 『続本朝往生伝』:大江匡房著。

文献

  • 『図録源信展』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%BA%90%E4%BF%A1%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール