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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

滋賀・新善光寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年5月15日 (水)

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新善光寺(しんぜんこうじ)は、滋賀県長浜市西上坂町出雲にある、皇族ゆかりの時宗寺院。本尊は阿弥陀如来。元は京都市にあり、かつての時宗御影堂派の拠点寺院。近代の別格本寺善光寺信仰。通称は御影堂御影堂新善光寺五条道場

目次

歴史

824年、檀林皇后空海を開山として嵯峨に創建。 東洞院春日に移転。 東河原院に移転した時、善光寺如来を奉安したので新善光寺と称した。 正応年間、後嵯峨天皇皇子で一遍門下の王阿(応阿)が中興。王阿は心地覚心にも師事。一遍自作の像を祀った。 1421年秋に佐女牛室町北、、綾小路河東、1528年(1529年とも)新町通五条町北(下京区御影町)と移転。 1587年、五条大橋の西端、現在の下京区御影堂町に移転。 江戸時代、寺の尼が作った扇は「阿古女扇」「袙扇」「御影堂扇」として知られた。扇の起源は平敦盛の妻の蓮華院生一如仏が出家して作り始めたという。

1864年、幕末の兵火で焼失。 1894年再建。 1945年3月、戦時下の道路建設のため滋賀県に移転。 1960年、旧地近くに扇塚が建てられた。

『一遍上人絵伝』御影堂本を所蔵していた。 (『日本歴史地名大系』『国史大辞典』)

子院

1697年の『国花万葉記』によると以下を「寺中」として記す。

  • 香阿弥:
  • 珠阿弥:長林房
  • 龍阿弥:
  • 仙阿弥:
  • 由阿弥:
  • 文阿弥:
  • 来阿弥:
  • 一阿弥:
  • 樹阿弥:
  • 善阿弥:
  • 乗阿弥:柳林房
  • 重阿弥:桐林房
  • 林阿弥:
  • 直阿弥:室樹軒
  • 庭阿弥:

資料

古典籍

  • 『京御影堂新善光寺略縁起』
  • 『古事類苑』「新善光寺」
  • 『時宗王阿派本末牒』

文献

  • 古賀克彦1997「時宗御影堂派本山新善光寺の研究ー新出史料も兼ねて」
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%BB%8B%E8%B3%80%E3%83%BB%E6%96%B0%E5%96%84%E5%85%89%E5%AF%BA」より作成

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