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玉前神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年11月9日 (水)
玉前神社 たまさき じんじゃ | |
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概要 | |
奉斎 | 玉埼神 (土岐昌訓論文) |
所在地 | 千葉県長生郡一宮町一宮3048 |
所在地(旧国郡) | 上総国長生郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 式内社・名神大社・上総国一宮・国幣中社・別表神社 |
関連記事 | 玉依姫信仰 |
目次 |
概要
歴史
境内
組織
宮司
- 秋山光条(1843-1902)<1874-1874>:(略歴は八坂神社#組織を参照)
- 城井寿章()<1877->:1877年(明治10年)7月、玉前神社宮司。
- 田中重則(?-1894)<-1894>:1894年(明治27年)4月22日死去(官報)。
- 杉谷正隆(1865-1945)<1894-1894>:熊本県出身の神職。1894年(明治27年)5月、玉前神社宮司。同年7月27日、安房神社宮司。のち浅間大社宮司、氷川神社宮司、香椎宮宮司、平安神宮宮司、八坂神社宮司、乃木神社社司を歴任。(略歴は、平安神宮#組織を参照)
- 田中美也司()<1894->:儒学者。1894年(明治27年)7月27日、玉前神社宮司。著書『商用文講話及文範』『商業作文』『商業歴史教科書』[1][2]。
- 保科保操()<1897->:1897年(明治30年)7月1日から1899年(明治32年)4月29日まで玉前神社宮司。丹生川上神社宮司に転任。(略歴は、砥鹿神社#組織を参照)
- 森村正俊()<1903-1907>:1903年(明治36年)7月17日、玉前神社宮司。1907年(明治40年)3月6日、広瀬神社宮司。
- 園田弘(生没年不詳)<1907->:生没年不詳。日光二荒山神社宮司、八坂神社宮司、射水神社宮司を歴任。1907年(明治40年)3月、玉前神社宮司。(略歴は、射水神社#組織を参照)
- 矢野豁(1881-1945)<1913-1915>:愛媛県出身の神職。1881年(明治14年)生。1904年(明治37年)神宮皇学館本科卒。新潟県や大分県の中学校の教諭を務める。1911年(明治44年)神社局書記。1913年(大正2年)10月23日、玉前神社宮司。1915年(大正4年)3月20日、鎌倉宮宮司。1921年(大正10年)9月2日、長田神社宮司。1923年(大正12年)1月24日神宮禰宜。1930年(昭和5年)3月31日、松尾大社宮司。1933年(昭和8年)4月4日、賀茂御祖神社宮司。1936年(昭和11年)12月19日賀茂別雷神社宮司。1945年(昭和20年)7月7日死去。
- 栗原崇次()<>:
画像
参考文献
- 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』