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盛岡八幡宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年5月31日 (金)
盛岡八幡宮(もりおか・はちまんぐう)は、岩手県盛岡市にある八幡信仰の神社。旧県社。別表神社。旧内務大臣指定護国神社の岩手護国神社がある。
目次 |
歴史
- 盛岡城の築城と共に三の丸鳩森曲輪に社殿を造営。鳩森八幡宮と呼ばれた。櫛引八幡宮の分霊を祀ったらしい。
- 1671年(寛文11年):現在地に御旅所と馬場を造成。。別当は金剛院。
- 1679年(延宝7年):社殿造営起工。神輿渡御。
- 1681年(天和1年)8月14日:竣工
- 1709年(宝永6年):山車が出る。
- 明治初年:城内の社寺堂宇が廃止となったため御神体を遷座し御旅所が本社となる。
- 1873年(明治6年)4月13日:県社に昇格[1]。5月11日奉告祭[2]。
- 1884年(明治17年):大火で焼失。
- 1890年(明治23年):仮殿造営。
- 1906年(明治39年):岩手招魂社が隣接地に遷座。
- 1939年(昭和14年):岩手招魂社、岩手護国神社となる。
組織
宮司
- 清岡道保()<>:盛岡八幡宮祠官。
- 菊池武()<>:盛岡八幡宮祠官。
- 宮崎道郎(1885-)<>:岩手県紫波郡見前村出身。1885年(明治18年)生。1903年(明治36年)神宮皇学館卒業。1912年(大正1年)立教学院志成中学校教員。1924年(大正13年)盛岡八幡宮社司。岩手招魂社受持神官。1939年(昭和14年)岩手護国神社社司。
- 北田喜七郞(1902-1976)<1945-1976>:1902年(明治35年)生。岩手県属、事務官、社寺兵事課長、地方事務所長などを歴任。1945年(昭和20年)岩手護国神社・盛岡八幡宮社司。岩手県神職会副会長。岩手県神社庁副庁長。1976年(昭和51年)2月2日死去。
- 藤原正良(?-1997)<1976-1997>:岩手県神社庁長。1957年(昭和32年)盛岡八幡宮に奉職。1976年(昭和51年)3月6日、盛岡八幡宮宮司・岩手護国神社宮司。1980年(昭和55年)岩手県神社庁長。神社本庁理事。1982年(昭和57年)7月22日、志和稲荷神社特任宮司。駒形神社宮司を兼務。1995年(平成7年)評議員会議長。1997年(平成9年)1月19日死去。
- 藤原隆麿(1954-2020)<1997-2020>:1954年(昭和29年)生。1994年(平成6年)神社本庁参事。秘書課長。1997年(平成9年)3月1日、盛岡八幡宮・岩手護国神社宮司。2020年(令和2年)死去。
- 藤原大修()<>:宮司代務者