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真宗大谷派富山別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2015年9月22日 (火)
真宗大谷派富山別院(しんしゅうおおたには・とやま・べついん)は、富山県富山市にある真宗大谷派の別院。
明治の廃仏毀釈で富山藩領の寺院は大きな被害を受けた。明治3年(1870)、富山藩は合寺令を出し、一宗一寺を目標に各宗の寺院の合併が進められ、浄土真宗寺院も数ケ寺まで減らされた。反対運動などから9年(1876)には撤回されたが、影響は大きかった。10年(1877)、当時、東本願寺法嗣だった大谷光瑩(現如)が富山を訪問、続いて12年には東本願寺住職大谷光勝(厳如)が視察した。これを受けて13年(1880)に大谷光勝を開山として現在地に説教場が創建されたのが富山別院の始まりである。西本願寺も近隣に説教場を移し、門前町一帯は繁華街として発展した。東西の対抗意識もあって、別院昇格が願われ、17年(1884)に実現し、富山別院となった。農閑期に門徒総出で建設作業が行われ、21年(1888)、仮堂が完成した。しかし、32年(1899)、大火で焼失。仮堂のまま長年が過ぎたが、その仮堂も富山大空襲で焼失した。昭和27年(1952)になってようやく本堂が竣工した。
参考文献
- 木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部