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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

真宗大谷派岐阜別院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年12月26日 (水)

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真宗大谷派岐阜別院(しんしゅうおおたには・ぎふ・べついん)は、岐阜県岐阜市大門町にある真宗大谷派別院小熊御坊。別格別院だった(大谷派寺院録)。(参考:同名寺院岐阜別院

歴史

慶長6年(1601)、美濃国各務原加納村に陣屋を置く旗本坪内惣兵衛が、12代教如に寺地を寄進して道場としたのが起源。寛永元年(1624)、厚見郡小熊村の門信徒の願いを東本願寺13代宣如が聞き入れ、道場を小熊に移し、掛所とした。そのため宣如を開山とする。明治5年(1872)、東本願寺出張所と称し、明治10年(1877)岐阜別院と称した。24年(1891)の濃尾地震で本堂などは全壊。仮堂を立てたが大正元年(1912)9月の暴風雨で倒壊した。大正5年、大伽藍を建立し復興した。

子院

参考文献

  • 木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部
  • 『日本歴史地名大系』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%97%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E6%B4%BE%E5%B2%90%E9%98%9C%E5%88%A5%E9%99%A2」より作成

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