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真宗大谷派笠松別院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年8月30日 (月)

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本堂跡。昭和49年に焼失して40年以上再建されていない。

真宗大谷派笠松別院(しんしゅうおおたには・かさまつ・べついん)は、岐阜県羽島郡笠松町にある真宗大谷派別院。(参考:同名寺院笠松別院

文政年間、西本願寺19代本如が江戸に下る際、この付近に休息する末寺がなかったため、天保8年(1837)門徒が坊舎を立てた。現在の西本願寺の笠松別院である。東本願寺では休息する末寺があったが、西派に動きに刺激され、門徒らが天保10年(1839)に一宇を建てた。これが東本願寺の笠松別院の始まりである。その後、東本願寺掛所となり、明治9年、笠松別院となった。明治24年の濃尾地震で甚大な被害をこうむった。その後、本堂、山門などを再建したが、昭和49年に失火で焼失。再建の目処は立っていない。

当時の輪番が建てた明治天皇行在所が移築されている。東流廃寺の礎石がある。

参考文献

  • 木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%97%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E6%B4%BE%E7%AC%A0%E6%9D%BE%E5%88%A5%E9%99%A2」より作成

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