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真宗大谷派長浜別院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年12月31日 (金)

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真宗大谷派長浜別院(しんしゅうおおたには・ながはま・べついん)は、滋賀県長浜市にある真宗大谷派別院。寺号は大通寺長浜御堂長浜御坊。別格別院だった(大谷派寺院録)。(参考:同名寺院大通寺

目次

歴史

湖北は浄土真宗が根付いた地域で、長浜別院は長浜町年寄の惣会所として建てられたのが始まりとされる。惣会所は慶長元年(1596)、長浜城内に移され、慶長11年以後には城外に土地を与えられて移転した。長浜御堂長浜御坊と称された。大通寺の寺号は、12代教如が慶長7年(1602)ごろに許可したとも、東本願寺13代宣如が寛永13年(1636)に許可したともいう。

輪番で運営されたが寛永16年に宣如の息子霊瑞院宣澄を初代住職に迎えた。東本願寺住職の子息が住職につくことが通例となり、藩主井伊家の子息を迎えることもあった。

慶安2年(1649)、彦根藩主井伊直孝から現在地を与えられ本堂や大広間が整備された。寺伝では現在の本堂内陣や大広間は東本願寺創建時の御堂を承応元年(1652)に移築したと言われ、学術調査でもその可能性はあると考えられている。

組織

歴代

(真宗年表ほか)

  • 1宣澄(1626-1682)<>:東本願寺13世宣如の三男。霊瑞院。暫酔。1680年(延宝8年)11月25日死去?54歳。
  • 2琢澄(?-1648)<>:宣澄の子。霊蔵院。瑛高。1688年(元禄1年)水谷浄願寺に隠退?。1648年(慶安1年)9月3日死去。
  • 3一源(1675-1708)<>:東本願寺16世一如の長男。海高。能冷院。1708年(宝永5年)10月6日死去。34歳。
  • 4一応(1684-1756)<?-1741>:超絶院。東本願寺16世一如の五男。海徳。1684年(貞享1年)生。1738年(元文3年)5月、船場本徳寺住職を兼務。1741年(寛保1年)7月5日隠退。1756年(宝暦6年)9月9日(29日とも)死去。73歳。
  • 5真央(1721-1791)<1741->:一応の子。初名は真応。横超院。性徳。含山と号す。船場本徳寺住職。1721年(享保6年)生。1741年(寛保1年)7月19日寺務。1762年(宝暦12年)5月11日、本徳寺住職兼務。1791年(寛政3年)9月10日死去。71歳。
  • 6乗徳(1769-1828)<>:井伊直宥。井伊直幸の子。又助。真央の養子。諱は遍勝。明達院。1828年(文政11年)10月29日死去。60歳。
  • 7達央(1776-?)<?-1822>:朗徳。真央の孫。父は超倫院。1776年(安永5年)生。1822年(文政5年)、大信寺に転任。含秋と号す。最勝院。
  • 8達住(1817-1894)<?-1841>:東本願寺21世大谷光勝(厳如)。達如の子。1817年(文化14年)生。1841年(天保12年)宝如の死去で東本願寺に移る。諱は朗澄。霊心院。1894年(明治27年)1月15日死去。78歳。
  • 9達位(1836-1862)<>:達如の子。朗高。能満院。1862年(文久2年)8月8日死去。27歳。
  • 10厳澄(1856-1924)<>:大谷勝縁。霊鷲院。霊寿院。大谷光勝の次男。1856年(安政3年)生。1924年(大正13年)3月9日死去。69歳。
  • 11大谷勝信(1878-1951)<>:真宗大谷派寺務総長3代。東本願寺21世厳如の十男。東本願寺22世現如の弟。本務は本統寺。大通寺を兼務。厳量。慧日院と号す。
  • 12大谷暢順(1929-)<>:大谷光暢の次男。真宗大谷派を離脱し東山浄苑を創設。

資料

  • 木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部
  • 『無礙智山大通寺栞』1920年(大正9年)。[1]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%97%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E6%B4%BE%E9%95%B7%E6%B5%9C%E5%88%A5%E9%99%A2」より作成

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