ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
真盛旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年8月2日 (日)
真盛(しんせい)(1443-1495)は、天台宗真盛派(現・天台真盛宗)の開祖。西教寺開山。円戒国師、慈摂大師。
目次 |
生涯
嘉吉3年(1443)1月28日、伊勢国一志郡小倭荘大仰里(三重県一志郡一志町)に、北畠家の家臣の小泉藤能の子として誕生。跡地に伊勢・誕生寺がある。幼名は宝珠丸。 川口の光明寺で得度。 尾張国篠木(愛知県春日井市)の密蔵院で修行。 父の死を受けて帰郷。勉学のため伊勢神宮に祈願。 寛正2年(1461)、兵衛大夫という者の援助を受けて比叡山へ。慶秀に師事。阿闍梨、伝燈大法師、大乗会講師と順調に出世。 文明15年(1483)、40歳のとき、母の危篤のため20年ぶりに山を降り帰郷。母の死を看取る。比叡山で遁世。黒谷青龍寺に籠る。 文明17年、浄土院に参籠して往生要集を授かる。 文明18年、青龍寺大黒天のお告げで布教を始める。生源寺で往生要集を講義。最初の布教。説教を聞いて感動した幸叡が西教寺に招く。 長享2年(1844)越前布教。真敬が引接寺創建。 延徳2年(1490)伊勢布教。西来寺創建。 延徳4年、伊賀布教。西蓮寺で別時念仏。 明応2年(1493)、二祖となる盛全が師事。 明応3年(1494)弟子の真九が成願寺創建。 明応4年(1495)2月30日、53歳で伊賀・西蓮寺で死去。
伊勢、伊賀、大和、河内、山城、近江、若狭、越前、信濃を巡教。 宮中では後土御門天皇、皇太子時代の後柏原天皇、尊伝(尊盛)法親王などに布教、授戒した。 後土御門天皇は、宸筆の「真盛上人」の書を下賜。 甘露寺親長、三条西実隆、庭田雅行、飛鳥井雅親なども帰依。 後土御門天皇の下問に答え、『奏進法語』を執筆して献上。 将軍足利義政の招きで説教。義政は銀閣寺持仏堂に『往生要集』を奉安したのは真盛の影響という。日野富子も指示。将軍側近の女性の大蔵卿局は将軍没後に真盛のもとで出家した。 朝倉貞影、畠山義就、畠山義豊、六角高頼、河毛盛空、北畠材親、新長門守などが帰依。 朝倉貞影は一乗谷に真盛を招いた。弟が出家して真慶と名乗り、越前・引接寺創建。 新長門守は出家して真九を名乗り小倭に成願寺を創建。
一覧
- 伊勢・誕生寺:三重県津市一志町大仰。
- 比叡山・青龍寺:滋賀県大津市坂本。
- 生源寺:滋賀県大津市坂本。
- 西教寺:滋賀県大津市坂本。
- 引接寺:福井県越前市京町。
- 西来寺:三重県津市乙部。
- 西蓮寺 三重県伊賀市長田。墓所。
- 成願寺 三重県津市白山町上ノ村。
- 不断念仏16寺(真盛上人往生伝記[1])
- 坂本・西教寺:滋賀県大津市坂本。
- 越前・引接寺:福井県越前市京町。
- 福井・西光寺:福井県福井市左内町。元は福井市次郎丸町にあった。
- 越前・放光寺:福井県越前市中新庄町。
- 越前・青蓮寺:福井県大野市日吉町。廃絶。蓮光寺の北にあった。
- 越前・蓮光寺:福井県大野市日吉町。
- 伊賀・西蓮寺:三重県伊賀市長田。
- 伊賀・九品寺:三重県伊賀市守田町。
- 伊賀・西福寺:三重県伊賀市大野木池尻。『往生伝記』に「尼寺」とある。
- 伊賀・西盛寺:三重県伊賀市三田。『往生伝記』に「尼寺」とある。
- 伊勢・西来寺:三重県津市乙部。
- 伊勢・成願寺:三重県津市白山町上ノ村。
- 伊勢・恵光寺:三重県津市白山町佐田。廃絶。『往生伝記』に「尼寺」とある。
- 伊勢・称名寺:三重県津市白山町岡?。『往生伝記』に「尼寺」とある。
- 伊勢・蓮生寺:三重県松阪市射和町。
- 伊勢・光泉寺:三重県津市野田。『往生伝記』に「尼寺」とある。
- 真蔵院:比叡山西塔南谷にあった。真盛の住房だったという。
年表
略年譜
- 1443年(嘉吉3年)1月28日:伊勢国一志郡で誕生。
- 1461年(寛正2年):比叡山へ。
- 1483年(文明15年):40歳。母の危篤のため20年ぶりに山を降り帰郷。母の死を看取る。
- 1485年(文明17年):延暦寺浄土院に参籠して往生要集を授かる。
- 1486年(文明18年):青龍寺大黒天のお告げで布教を始める。
- 1486年(文明18年):最初の布教。説教を聞いて感動した幸叡が西教寺に招く。
- 1488年(長享2年):越前布教。
- 1490年(延徳2年):伊勢布教。西来寺創建。
- 1492年(明応1年):伊賀布教。西蓮寺で別時念仏。
- 1495年(明応4年)2月30日:伊賀・西蓮寺で死去。53歳。
参考文献
- 色井秀譲、昭和43『天台真盛宗読本』
- 色井秀譲、昭和57『真盛上人』中山書房