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知恩院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年8月12日 (木)

知恩院門跡から転送)
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知恩院御影堂
粟生光明寺から法然の遺骨を分骨した知恩院御廟

知恩院(ちおんいん)は、京都府京都市東山区林下町にある浄土宗本山寺院浄土宗知恩院派の総本山。本尊は法然。法然の草庵跡であり初葬地であることから浄土宗各派の中で最も重要な寺院となっている。改葬された粟生光明寺からの分骨を収めた墓所がある。山号は華頂山。知恩院関連旧跡も参照。法然上人二十五霊場。(参考:同名寺院知恩寺_(同名)

目次

歴史

知恩院(国土地理院空中写真より)
知恩院中心部(国土地理院空中写真より)
知恩院の法然墓周辺(国土地理院空中写真より)
八坂神社・知恩院・青蓮院の周辺(国土地理院空中写真より)

起源

1228年には忌日法要の「知恩講」が営まれていたことが同年8月11日銘の『知恩講私記』(東寺宝菩提院蔵)によって分かる。 法然が30年間拠点にした吉水の草庵が起源。

成立

源智が文暦元年(1234)復興。四条天皇の勅で華頂山大谷寺知恩教院と称した。

中世

戦国時代には知恩寺と本末を争った。

近世

1575年9月25日、正親町天皇から香衣綸旨の執奏権を得て本山としての地位を確立。 慶長8年(1603)徳川家康が700石を寄進。 同年から幕府により大規模な造営。現在の伽藍の基礎ができた。中世、東山には常在光院という臨済宗寺院があったが、応仁の乱で焼失。跡地は知恩院に併合された。京都・白毫寺もあったが、慶長の造営のため移転させられた。親鸞の墓も遷された。 慶長12年、門跡となり、慶長15年に竣工。 元和元年、門跡領として1040石が寄進された。


寛永10年(1633)大火で焼失。18年までに主要伽藍が再建された。 正徳元年(1711)、法然500回忌が勅会として行われた。

近現代

1947年、離脱して本派浄土宗を設立(のち浄土宗本派と改称)。 1961年、浄土宗本派と浄土宗(東京)が合併。


伽藍

  • 御影堂:本尊は法然。1639年再建。西脇壇には内側から、徳川家康像、伝通院像、徳川秀忠像を祀る。東脇檀には内側から32世雄誉霊巌、29世満誉尊照、阿弥陀三尊、善導、25世超誉存牛、歴代住職位牌を祀る。間口45m。奥行35m。大殿とも呼ばれる。
  • 阿弥陀堂:本尊は阿弥陀如来。丈六像。1910年造営。
  • 集会堂:僧侶が法要前に集まり礼を行う場所。御影堂の修復の際は仮堂としても使われる。1635年造営。
  • 勢至堂:本尊は勢至菩薩。元は1530年再建の御影堂。伝後奈良天皇筆「知恩教院」の額を掲げる。
  • 宝仏殿:
  • 御廟:1613年造営。
  • 影向石:法然の臨終のときに賀茂大明神が出現した。
  • 紫雲水:
  • 権現堂:東照大権現をはじめ歴代将軍の位牌を祀る。
  • 鎮守八幡宮
  • 瓜生石牛頭天王が出現した石。粟田神社の鉾が粟田祭でここまで巡行する。
  • 濡髪大明神
  • 経蔵:1621年、徳川秀忠の建立。
  • 納骨堂
  • 五輪塔:
  • 多宝塔:
  • 収蔵庫:
  • 山門:1621年、徳川秀忠の建立。伝霊元天皇筆「華頂山」額を掲げる。三門。三解脱門、
  • 小方丈:1623年造営。
  • 大方丈:1623年造営。仏間がある。将軍を迎えるための書院。
  • 古経堂
  • 雪香殿
  • 庫裏
  • 寺務所
  • 唐門:1623年造営。
  • 大鐘楼:1678年造営。1636年鋳造。
  • 墓地:

子院

  • 崇泰院:現存。
  • 一心院:現在は独立寺院。現存。浄土宗捨世派の本山。
  • 得浄明院):現存。
  • 良正院:現存。鳥取藩主池田家ゆかり。池田輝政夫人良正院が葬られた。
  • 常称院:2016年廃絶。
  • 先求院:現存。酒井忠次が葬られ、寺名はその戒名に基づく。
  • 浩徳院:現存。
  • 松宿院:現存。
  • 源光院:法人格はなく、現在は浄土宗教化研修会館がある。
  • 信重院:現存。
  • 保徳院:現存。
  • 入信院:現存。
  • 光照院:現存。
  • 既成院:現存。
  • 光玄院:2016年廃絶。
  • 樹昌院:現存。
  • 九誾院:東大寺公慶が知恩院の協力で大仏再建のために勧進の拠点とした。?

以上の他、政教中正論[1]には次がある。

  • 徳林院
  • 福寿院
  • 浩源院
  • 忠岸院
  • 信寿院:信重院?
  • 常照院
  • 西養院
  • 威徳院
  • 九勝院
  • 源順院

組織

門跡

江戸時代には住職とは別に門跡が設置されたが名誉職的な存在だったと思われる。華頂宮を参照。

住職

  • 戦後は浄土門主と呼ぶ。
知恩院の歴代住職一覧
名前 生没年 在職年 蓮社号など 誉号など 阿号など 称号 略歴
1 源空 1133-1212 法然房 浄土宗開祖。知恩寺初代。
2 源智 1183-1238 勢観房 平師盛の子。平重盛の孫。紫野門徒の祖。知恩寺2世。
3 本仏道宗 ?-1250 1250年(建長2年)10月2日死去。
4 道舜 ?-1264 1264年(文永1年)2月3日死去。
5 覚生 ?-1271 1271年(文永8年)6月9日死去。
6 遍空 ?-1285 観明房 観明房と号す。1285年(弘安8年)9月21日死去。
7 了信 ?-1293 1293年(永仁1年)2月13日死去。
8 如空 1262-1321 仏元真応智慧如一国師 智恵光院開山。知恩寺6世。1321年(元亨1年)3月6日死去。60歳。
9 舜昌 1255-1335 弓削正家の子。如空の弟子。『法然上人絵伝』を著す。舜昌法印。元天台宗僧で延暦寺功徳院にいた。1335年(建武2年)1月14日(25日とも)死去。80歳余。
10 西阿 ?-1355 西阿 1355年(文和4年)8月18日死去。
11 円智 ?-1357 鳥羽法伝寺山科・阿弥陀寺を創建。1357年(延文2年)3月27日死去。
12 誓阿 1297-1374 誓阿 当麻寺奥院を創建したという。1374年(応安7年)7月19日死去。78歳。誓阿普観。
13 恭阿 ?-1378 恭阿 1378年(永和4年)9月20日死去。
14 助阿 ?-1392 助阿 1392年(明徳3年)3月16日(1381年(永徳1年)4月22日とも)死去。
15 佐阿 ?-1398 佐阿 1398年(応永5年)2月21日死去。
16 信楽 ?-1400 1400年(応永7年)10月22日死去。
17 法阿 ?-1407 法阿 1407年(応永14年)応永14年4月23日死去。
18 入阿 ?-1448 入阿 1448年(文安5年)8月26日死去。
19 隆阿 1413-1481 尭誉 隆阿 浄厳院開山隆尭の弟子。浄厳院2世。称名院(滋賀県守山市)を創建。1481年(文明13年)年9月7日死去。69歳。
20 空禅 ?-1450 1450年(宝徳2年)4月28日死去。
21 慶竺 1403-1459 行蓮社 大誉 知恩寺19世。1459年(長禄3年)1月24日死去。57歳。
22 珠琳 1439-1511 1459-1503 棟蓮社 周誉 1459年(長禄3年)就任。応仁の乱の戦火で1468年、知恩院は焼失。そのため青蓮院領だった近江国伊香立荘に御影像・宝物と共に避難。まず上在地の金蓮寺に入り、まもなく下在地に新たに一寺を建立した。これが新知恩院である。1477年、戦火が収まると京都に帰り、知恩院復興の準備を始める。御影像を修復し、伽藍を再建し、1788年、京都知恩院を復興させた。1503年(文亀3年)辞山。1511年(永正8年)4月23日(1月26日とも)死去。73歳。
23 愚底 1445-1516 1504-1511 真蓮社 勢誉 松平家・徳川家の菩提寺大樹寺の開山。江戸時代の浄土宗興隆の源流を作る。1504年(永正1年)8月就任。1511年(永正8年)辞山。1516年(永正13年)4月11日死去。73歳?。
24 訓公 ?-1520 1511- 釈蓮社 肇誉 信光明寺より晋山。三河大恩寺中興。1511年(永正8年)就任。1520年(永正17年)8月15日死去。
25 存牛 1469-1549 1520-1527 尊蓮社 超誉 高顕真宗国師 松平親忠の子。信光明寺3世。1520年(永正17年)冬就任。1527年(大永7年)辞山。1549年(天文18年) 12月20日死去。81歳。1857年(安政4年)閏5月11日、国師号が贈られる。
26 源派 ?-1552 1527-享禄 歎蓮社 保誉 法然寺開山。1527年(大永7年)就任。享禄初年に辞山。1552年(天文21年) 3月30日死去。
27 光然 ?-1555 享禄-1554 浩蓮社 徳誉 山城・大念寺を創建。享禄(1528-1532)初年に就任。1554年(天文23年) 10月辞山。1555年(弘治1年)7月24日死去。
28 聡補 1521-1598 1554-1595 九蓮社 浩誉 内大臣万里小路秀房の子。1554年(天文23年) 11月就任。1595年(文禄4年)10月辞山。1598年(慶長3年)11月17日死去。78歳。『日本仏家人名辞書』に「聡甫」。
29 尊照 1562-1620 1595- 行蓮社 満誉 知恩院中興。万里小路秀房の孫。聡補の甥。知恩院の総本山としての地位を固めた。1595年(文禄4年)10月就任。1620年(元和6年) 6月25日死去。59歳。
30 法雲 ?-1627 1620- 馨蓮社 城誉 自坊は天嶽寺。1620年(元和6年) 10月台命で就任。1627年(寛永4年)12月朔日死去。
31 源正 ?-1628 1628- 太蓮社 然誉 1628年(寛永5年)7月台命で就任。1628年(寛永5年)8月5日死去。
32 霊巌 1554-1641 1629- 檀蓮社 雄誉 今川氏勝の三男。大巌寺3世。江戸・霊巌寺開山。1629年(寛永6年)6月25日台命で就任。1641年(寛永18年)9月朔日死去。88歳。『日本仏家人名辞書』に「霊厳」。
33 廓源 1577-1648 1642- 本蓮社 円誉 鎌倉光明寺33世を経て晋山。1642年(寛永19年)2月台命で就任。1648年(慶安1年)7月4日死去。72歳。
34 文宗 ?-1649 1648- 深蓮社 心誉 飯沼・弘経寺から晋山。1648年(慶安1年)8月台命で就任。1649年(慶安2年)12月8日死去。
35 旧応 ?-1657 1650- 超蓮社 勝誉 鎌倉光明寺36世を経て晋山。1650年(慶安3年)1月台命で就任。1657年(明暦3年)3月朔日死去。
36 尊空親王 1616-1688 1657-1663 天蓮社 帝誉 伏見宮出身。尊空神社祭神。真如院と号す。1657年(明暦3年)6月台命で就任。1663年(寛文3年)12月退任。1688年(元禄1年)11月7日死去。73歳。
37 知鑑 1606-1678 1663-1674 信蓮社 玄誉 蓮馨寺、鎌倉光明寺41世を経て晋山。伊勢寂照寺を創建。1663年(寛文3年)12月24日台命で就任。1674年(延宝2年)4月19日退任。1678年(延宝6年)3月6日死去。73歳。
38 万無 1607-1681 1674- 直蓮社 玄誉 浄国寺、弘経寺、大光院、光明寺43世を経て晋山。浄土律の僧。京都法然院を創建。弟子に忍澂がいる。1674年(延宝2年)5月2日台命で就任。1681年(天和1年) 6月25日死去。75歳。
39 感栄 ?-1687 1681- 正蓮社 直誉 大光院から晋山。1681年(天和1年) 8月24日台命で就任。1687年(貞享4年)12月朔日死去。80歳余。
40 孤雲 1624-1691 1688- 称蓮社 専誉 鎌倉光明寺48世を経て晋山。1688年(元禄1年)2月13日台命で就任。1691年(元禄4年)11月6日死去。68歳。
41 良我 1631-1693 1691- 督蓮社 宏誉 鎌倉光明寺50世を経て晋山。1691年(元禄4年)12月10日台命で就任。1693年(元禄6年)12月29日死去。63歳。
42 秀道 1631-1707 1694- 本蓮社 白誉 伝通院14世をへて晋山。1694年(元禄7年)1月29日台命で就任。1707年(宝永4年)3月11日死去。77歳。
43 円理 1650-1725 1707-1715 相蓮社 応誉 鎌倉光明寺53世を経て晋山。1707年(宝永4年)3月23日台命で就任。1715年(正徳5年)5月22日退任。1725年(享保10年)9月5日死去。76歳。
44 岸了 1647-1716 1715- 入蓮社 通誉 鎌倉光明寺55世を経て晋山。1715年(正徳5年)6月19日台命で就任。1716年(享保1年)7月17日死去。70歳。『日本仏家人名辞書』に「岩春」。
45 沢春 1649-1718 1716- 本蓮社 然誉 伝通院20世を経て晋山。1716年(享保1年)8月6日台命で就任。1718年(享保3年)7月25日死去。70歳。『日本仏家人名辞書』に「深春」。
46 了鑑 ?-1727 1718- 任蓮社 然誉 伝通院21世を経て晋山。1718年(享保3年)8月12日台命で就任。1727年(享保12年)8月5日死去。
47 見超 ?-1732 1727- 真蓮社 照誉 伝通院23世を経て晋山。1727年(享保12年)8月26日台命で就任。1732年(享保17年)1月7日死去。
48 往的 ?-1738 1732- 正蓮社 堅誉 伝通院24世を経て晋山。1732年(享保17年)2月2日台命で就任。1738年(元文3年)4月25日死去。
49 真察 1670-1745 1738- 名蓮社 称誉 増上寺、弘経寺、鎌倉光明寺60世を経て晋山。1738年(元文3年)5月16日台命で就任。1745年(延享2年)4月4日死去。76歳。
50 鸞宿 ?-1750 1745- 台蓮社 霊誉 常陸・常福寺から晋山。1745年(延享2年)5月2日台命で就任。1750年(寛延3年) 10月15日死去。
51 雲頂 ?-1753 1626- 遣蓮社 喚誉 伝通院28世を経て晋山。1626年(寛永3年)11月12日台命で就任。1753年(宝暦3年) 2月5日死去。
52 了風 1683-1754 1753- 光蓮社 団誉 江戸・霊山寺、常福寺、光明寺64世を経て晋山。1753年(宝暦3年) 3月14日台命で就任。1754年(宝暦4年) 9月3日死去。72歳。
53 順真 ?-1769 1754-1763 厳蓮社 麗誉 鎌倉光明寺65世を経て晋山。1754年(宝暦4年) 10月7日台命で就任。1763年(宝暦13年) 8月20日退任。1769年(明和6年)4月12日死去。
54 沢真 ?-1765 1763- 潤蓮社 曹誉 伝通院31世を経て晋山。1763年(宝暦13年) 9月25日台命で就任。1765年(明和2年)7月25日死去。『日本仏家人名辞書』に「深真」。
55 正含 1690-1769 1765- 仁蓮社 興誉 鎌倉光明寺67世を経て晋山。1765年(明和2年)8月26日台命で就任。1769年(明和6年)10月2日死去。80歳。
56 教意 1700-1771 1769- 金蓮社 覚誉 鎌倉光明寺69世を経て晋山。1769年(明和6年)11月4日台命で就任。1771年(明和8年)11月12日死去。72歳。
57 貞現 ?-1780 1771-1780 栴蓮社 檀誉 鎌倉光明寺70世を経て晋山。1771年(明和8年)12月8日台命で就任。1780年(安永9年) 7月11日退任。1780年(安永9年) 9月24日死去。
58 祐月 ?-1784 1780- 深蓮社 海誉 伝通院38世を経て晋山。1780年(安永9年) 8月6日台命で就任。1784年(天明4年)7月5日死去。
59 興玄 ?-1796 1784-1791 誠蓮社 実誉 伝通院40世を経て晋山。1784年(天明4年)8月8日台命で就任。1791年(寛政3年)8月7日退任。1796年(寛政8年)3月18日死去。
60 定説 ?-1802 1791-1798 見蓮社 誠誉 鎌倉光明寺76世を経て晋山。1791年(寛政3年)9月25日台命で就任。1798年(寛政10年)9月10日退任。1802年(享和2年)1月3日死去。
61 聖道 ?-1801 1798- 信蓮社 仰誉 伝通院44世を経て晋山。1798年(寛政10年)10月2日台命で就任。1801年(享和1年)9月16日死去。
62 霊麟 ?-1806 1801- 徳蓮社 聖誉 伝通院45世を経て晋山。1801年(享和1年)10月16日台命で就任。1806年(文化3年)4月13日死去。
63 智厳 ?-1809 1806- 愛蓮社 君誉 伝通院46世を経て晋山。1806年(文化3年)5月18日台命で就任。1809年(文化6年)7月19日死去。『日本仏家人名辞書』に「智儼」。
64 在心 1744-1822 1809-1820 清蓮社 泰誉 伝通院47世を経て晋山。1809年(文化6年)8月16日台命で就任。1820年(文政3年)9月4日退任。1822年(文政5年)9月27日死去。79歳。
65 貞厳 ?-1827 1820- 等蓮社 迎誉 伝通院49世を経て晋山。1820年(文政3年)10月3日台命で就任。1827年(文政10年)6月18日死去。『日本仏家人名辞書』に「照誉」。
66 貞瑞 ?-1831 1827- 明蓮社 察誉 鎌倉光明寺85世を経て晋山。1827年(文政10年)7月20日台命で就任。1831年(天保2年)12月26日死去。
67 説行 ?-1850 1832-1836 諦蓮社 聴誉 鎌倉光明寺86世を経て晋山。1832年(天保3年)2月2日台命で就任。1836年(天保7年)12月18日退任。1850年(嘉永3年)4月17日死去。
68 説玄 ?-1838 1837- 法蓮社 響誉 鎌倉光明寺87世を経て晋山。1837年(天保8年)1月23日台命で就任。1838年(天保9年)閏4月21日死去。
69 順良 ?-1845 1838-1844 但蓮社 方誉 鎌倉光明寺88世を経て晋山。1838年(天保9年)6月10日台命で就任。1844年(弘化1年)11月11日退任。1845年(弘化2年)12月16日死去。
70 歓幢 ?-1848 1845- 顕蓮社 赫誉 大光院から晋山。1845年(弘化2年)5月26日台命で就任。1848年(嘉永1年)7月26日死去。
71 顕道 1790-1858 1848- 徳蓮社 万誉 勝願寺から晋山。1848年(嘉永1年)9月19日台命で就任。1858年(安政5年)5月12日死去。
72 浄厳 ?-1861 1858- 得蓮社 荘誉 鎌倉光明寺92世を経て晋山。1858年(安政5年)8月4日台命で就任。1861年(文久1年)4月10日死去。
73 学天 1804-1870 1861-1870 実蓮社 名誉 鎌倉光明寺94世を経て晋山。1861年(文久1年)7月13日台命で就任。1870年(明治3年)11月26日死去。67歳。維新の混乱期で学天の死後しばらく無住となる。
74 漆間俊光 ?-1874 1871-1874 天蓮社 随誉 順阿斎祥 伝通院から晋山。1871年(明治4年)10月2日勅で就任。1872年(明治5年)5月任権少教正。明治年7月11日任大教正。1874年(明治7年)4月19日退任。1874年(明治7年)5月21日死去。
75 養鵜徹定 1814-1891 1874-1887 随蓮社 順誉 宝阿 浄国寺、伝通院を経て晋山。1874年(明治7年)4月17日教部省から住職に任命。1875年(明治8年)3月7日任大教正。1887年(明治20年)4月退任。1891年(明治24年)3月15日死去。78歳。
76 福田行誡 1809-1888 1887- 建蓮社 立誉 晋阿 小石川清浄心院、両国・回向院、伝通院、増上寺70世を経て晋山。1887年(明治20年)4月6日内務大臣から住職に任命。1888年(明治21年)4月25日死去。83歳?。
77 日野霊瑞 1818-1896 1888- 麟蓮社 鳳誉 亀阿 増上寺71世を経て晋山。1888年(明治21年)6月5日宗派で推戴し、内務大臣から住職に任命。1896年(明治29年)5月13日死去。79歳。
78 野上運海 1829-1904 1896-1902 到蓮社 竟誉 任阿 増上寺75世を経て晋山。1896年(明治29年)7月宗派で推戴し、内務大臣から住職に任命。1902年(明治35年)4月28日退任。1904年(明治37年)12月21日死去。76歳。
79 山下現有 1832-1934 謙蓮社 孝誉 妙阿 知恩寺62世、増上寺76世を経て晋山。
80 岩井智海 1863-1942 旭蓮社 願誉 底阿無涯 清浄華院72世、増上寺を経て晋山。音楽家
81 郁芳随円 一蓮社 相誉 入阿琶水 金戒光明寺63世を経て晋山。
82 望月信亨 1869-1948 晃蓮社 明阿望無雲 金戒光明寺64世を経て晋山。仏教学者。藤之寺。大正大学学長など歴任。いわゆる『望月仏教大辞典』の編者。
83 岸信宏 1889-1979 量誉 初代浄土門主。
84 高畠寛我 1889-1981 明誉 浄土門主2世。清浄華院を経て晋山。
85 藤井実応 1898-1992 明誉 増上寺を経て晋山。浄土門主3世。
86 中村康隆 1906-2008 弌蓮社 心誉 念阿浄業 増上寺を経て晋山。浄土門主4世。
87 坪井俊映 1914-2010 明蓮社 仁誉 信阿聞法無学 金戒光明寺73世を経て晋山。浄土門主5世。
88 伊藤唯真 1931- 2010- 願誉 清浄華院法主を経て晋山。仏教大学学長、京都文教短期大学学長を歴任。浄土門主6世。
  • 野上運海まで「華頂誌要」に基づく
  • 「浄源脈譜」、『日本仏家人名辞書』ほか

執事長

知恩院の執行部の責任者。1878年(明治11年)から事務総長や事務長を設置。のち執事数人が置かれ、のち執事1人となったようだ。1923年(大正12年)10月20日、本末規約を制定し、従来の執事を執事長に、主事を執事に改称する。1971年(昭和46年)2月20日、山規を改正して執事長任期を3年から4年に延長した。

代数 名前 生没 在職 略歴
1 松濤舜成 生没年不詳 1878-1881 自坊は八幡正法寺。1878年(明治11年)2月、知恩院初代事務総長。
2 山田弁承 1841-1911 1881-1883 清浄華院68世。1881年(明治14年)6月から1883年(明治16年)5月まで知恩院事務総長。1890年(明治23年)5月8日から1897年(明治30年)12月4日まで知恩院執事。1898年(明治31年)清浄華院晋山。
3 佐藤説門 ?-1887 1883-1883 金戒光明寺58世。大樹寺住職。1883年(明治16年)5月、公選で知恩院事務長。8月22日辞任。
吉水玄龍 1834-1904 1883-? 愛知県出身。伊勢円明寺で得度。1874年(明治7年)三重県中教院長。1877年(明治10年)浄土宗中教院長。1878年(明治11年)浄土宗西部大会議幹事長。1883年(明治16年)知恩院執事(新纂浄土宗大辞典。浄土宗近代百年史年表になし)。1899年(明治32年)1月隠退して神奈川正覚寺に住す。1902年(明治35年)長善寺に転住。1904年(明治37年)10月29日死去。71歳。
虎岡覚眠 生没年不詳 1884-1886 1883年(明治16年)8月22日、事務心得。1884年(明治17年)6月22日から1886年(明治19年)6月まで事務長。
杉山清運 生没年不詳 1886-? 自坊は備前正覚寺。1886年(明治19年)6月事務長。
土方霊存 ?-1889 ?-1889 1889年(明治22年)6月5日、知恩院執事在職で死去。
山田弁承 1841-1911 1890-1897 再任。1890年(明治23年)5月8日から1897年(明治30年)12月4日まで知恩院執事。
白旗弁智 ?-1904 1890-1897 1899年(明治32年)10月8日、敦賀西方寺住職。1890年(明治23年)5月8日から1897年(明治30年)12月20日まで知恩院執事。1904年(明治37年)9月10日死去。66歳。
吉水賢融 1843-1918 1894- 清浄華院69世。金戒光明寺61世。1894年(明治27年)浄土宗執綱。1895年(明治28年)知恩院執事(新纂浄土宗大辞典。浄土宗近代百年史年表になし)。1897年(明治30年)11月、知恩院執事。1902年(明治35年)知恩院執事(新纂浄土宗大辞典。浄土宗近代百年史年表になし)。1911年(明治44年)12月10日、清浄華院に転任。
吉水賢融 1843-1918 1897-? 再任?1897年(明治30年)11月、知恩院執事。
北条弁旭 1843-1918 1897-? 知恩寺65世。1897年(明治30年)11月、知恩院執事。
山下覚随 1855-1929 1901-? 福岡県出身。1855年(安政2年)生。京都西部大学林で学ぶ。1901年(明治34年)知恩院執事(新纂浄土宗大辞典。浄土宗近代百年史年表になし)。宗会議長。1908年(明治41年)大阪法善寺住職。1913年(大正2年)2月26日から1918年(大正7年)1月30日まで知恩院執事。1929年(昭和4年)10月2日死去。
吉水賢融 1843-1918 1902-? 再任?1902年(明治35年)知恩院執事(新纂浄土宗大辞典。浄土宗近代百年史年表になし)。
大鹿愍成 1857-1925 1912-? 金戒光明寺62世。浄厳院住職。1912年(大正1年)1月19日、知恩院執事。
広安真随 1848-1922 ?-1913 善導寺59世。1903年(明治36年)善導寺住職となるが、在職のまま知恩院執事となったようだ(年代不詳)。1913年(大正2年)2月26日、知恩院執事を辞任。のち執事再任。
山下覚随 1855-1929 1913-1918 再任。1913年(大正2年)2月26日から1918年(大正7年)1月30日まで知恩院執事。
広安真随 1848-1922 1918-1919 再任。1918年(大正7年)1月30日から1919年(大正8年)7月17日まで知恩院執事。
土川善澂 1864-1930 1919-1922 知恩寺68世。1919年(大正8年)7月17日から1922年(大正11年)7月23日まで知恩院執事。
郁芳随円 1867-1945 1922-1926 知恩院81世。金戒光明寺63世。1922年(大正11年)7月23日から1926年(昭和1年)2月6日まで執事・執事長。在任中の1923年(大正12年)10月20日、執事から執事長に改称。
岩井智海 1863-1942 1926-1928 知恩院80世。清浄華院72世。増上寺80世。1926年(昭和1年)2月6日、知恩院執事長。
宇都宮善道 1855-1928 1928-1928 愛知県出身。1855年(安政2年)生。1897年(明治30年)京都称名寺に住す。1899年(明治32年)宗会議員。のち議長。1913年(大正2年)宗派執綱。1914年(大正3年)9月、浄土宗報恩明照会会長。1928年(昭和3年)7月1日、知恩院執事長となるが直後の8月22日に死去。74歳。
福原隆成 1872-1931 1928-1931 越前国出身。福厳寺に住す。浄土宗本校に学び、浄土宗大学幹事、近江・阿弥陀寺、京都上善寺を歴任。1928年(昭和3年)8月28日、知恩院執事長。華頂会館を建設。1931年(昭和6年)3月20日、在職で死去。60歳。
豊岡博道 1875-1935 1931-1931 自坊は伊賀念仏寺。1875年(明治8年)生。愛知支校を経て浄土宗専門学院に学ぶ。宗教大学講授、浄土宗布教部長、宗会議員など歴任。御津大恩寺、牛込専念寺、念仏寺などを歴任。1931年(昭和6年)3月28日、知恩院執事長。1935年(昭和10年)5月10日死去。61歳。
加藤鏡心 1867-1941 1931-1934 清浄華院73世。自坊は名古屋光明寺。1931年(昭和6年)7月1日から1934年(昭和9年)5月23日まで知恩院執事長。
漆間徳定 1869-1944 1934-1934 美作誕生寺住職。1934年(昭和9年)5月23日から7月1日まで知恩院執事長。1944年(昭和19年)10月20日死去。76歳。
薮内彦瑞 ?-1953 1934-1938 自坊は大阪日根野楞厳寺。1934年(昭和9年)7月1日知恩院執事長。1953年(昭和28年)2月25日死去。著編書『知恩院史』『華頂聚宝』。
小田信巌 生没年不詳 1938-1940 自坊は長崎大音寺。佐世保九品寺住職。1938年(昭和13年)1月4日から1940年(昭和15年)7月1日まで執事長。1948年(昭和23年)10月26日死去。80歳。
小林円達 ?-1957 1940-? 自坊は四条浄教寺。1940年(昭和15年)7月1日執事長。1957年(昭和32年)7月20日死去。77歳。著書『燈籠堂浄教寺』。
川端信之 1874-1946 1945-1946 金戒光明寺66世。善導寺60世。自坊は埼玉林西寺。1945年(昭和20年)から1946年(昭和21年)にかけて知恩院執事長を務めたようだ(浄土宗近代百年史年表には記述なし)
三枝樹貫道 1874-1954 1946-1947 1874年(明治7年)生。愛知県出身。浄土宗本校、浄土宗専門学院に学ぶ。第二第六教校教授。1905年(明治38年)和歌山九品寺住職。1907年(明治40年)第五教校教授。宗教大学専修部教授。1911年(明治44年)第六第七連合教校長、尼崎甘露寺住職。1917年(大正6年)仏教専門学校講授。1928年(昭和3年)宗会議員。兵庫教区教務所長。1946年(昭和21年)(6月?)から1947年(昭和22年)11月10日まで知恩院執事長。1954年(昭和29年)9月7日死去。81歳。
颯田善雄 1885-1955 1947-1948 自坊は知多雲谷寺。愛知県出身。1909年(明治42年)宗教大学卒。1921年(大正10年)雲谷寺住職。1885年(明治18年)生。1947年(昭和22年)11月18日、知恩院執事長。同年12月8日、門末協議員会を開き、知恩院の単称浄土宗からの離脱と本派浄土宗設立を決議。9日に登記。1949年(昭和24年)3月、知恩院副門主。1955年(昭和30年)6月1日死去。72歳。
久松鏆瑞 1877-1948 1948-1948 自坊は鈴鹿慶運寺。三重県桑名郡出身。1877年(明治10年)生。浄土宗専門学院に学ぶ。1900年(明治33年)鈴鹿慶運寺住職。1906年(明治39年)浄土宗大学幹事。第五教校教授。朝鮮開教区教務所理事。1926年(昭和1年)華頂高等女学校長。1928年(昭和3年)知恩院教務部長、1931年(昭和6年)仏教専門学校教授、1934年(昭和9年)布教師会会長を歴任。1948年(昭和23年)1月16日、分裂後初の知恩院執事長に就任するが直後の2月13日死去。72歳。
林隆碩 1884-1972 1948-1949 自坊は津島円成寺。愛知県出身。1884年(明治17年)生。宗教大学卒。布教講習所長、知恩院教務部長、知恩院布教師会長を歴任。1948年(昭和23年)3月1日から1949年(昭和24年)12月17日まで知恩院執事長。1950年(昭和25年)津島円成寺住職。1972年(昭和47年)3月5日死去。89歳。著書多数。
大河内貫静 1887-1967 1950-1952 愛知県出身。1887年(明治20年)生。京都智恵光院に入る。京都府仏教会初代会長。椿寺地蔵院住職。1950年(昭和25年)1月6日から1952年(昭和27年)8月10日まで知恩院執事長。1967年(昭和42年)10月16日死去。80歳。
颯田善雄 1885-1955 1952-1953 1952年(昭和27年)8月10日から1953年(昭和28年)まで執事長再任。
田中俊孝 1890-1959 1953-1955 自坊は転法輪寺。1890年(明治23年)生。山下現有に師事。1919年(大正8年)転法輪寺住職。1953年(昭和28年)4月15日知恩院執事長。1959年(昭和34年)3月8日死去。68歳。編著『雲介子関通全集』。山下俊孝とも。
香月善裕 ?-1964 1955-1957 自坊は松坂安楽寺。1955年(昭和30年)11月1日から1957年(昭和32年)11月9日まで知恩院執事長。1964年(昭和39年)4月8日死去。
千々和宝天 1895-1961 1957-1961 福岡県出身。1895年(明治28年)生。宗教大学宗教部本科、研究科で学ぶ。福岡県の大乗院、西光寺、華頂寺の住職を歴任。1932年(昭和7年)宗会議員。1946年(昭和21年)知恩院執事・教務部長。1957年(昭和32年)11月10日、知恩院執事長。浄土宗合同への道筋を付けたが、1961年(昭和36年)9月2日、在任中死去。65歳。
西村澄道 ?-1973 1961-1962 自坊は大阪西往寺。1961年(昭和36年)9月17日知恩院執事長。浄土宗と合同を果たす。1973年(昭和48年)9月16日死去。83歳。
曽和探玄 ?-1968 1962-1965 自坊は芦屋安楽寺。1962年(昭和37年)7月25日、知恩院執事長(合同後、初の就任)。1968年(昭和43年)9月21日死去。64歳。
鵜飼隆玄 1905-1990 1965-1983 岐阜県出身。仏教専門学校卒。1931年(昭和6年)鵜飼徳瑞の法嗣となり、滋賀福泉寺住職。本派浄土宗設立に関わる。知恩院社会部長。浄土宗合同に尽力し、1962年(昭和37年)宗派総務局長、1964年(昭和39年)教学局長を歴任。1965年(昭和40年)7月27日から1983年(昭和58年)12月1日まで知恩院執事長。1966年(昭和41年)6月「念仏おてつぎ運動」を始める。1967年(昭和42年)敦賀西福寺住職。大正大学理事長、華頂学園理事長、上宮学園理事長。1990年(平成2年)5月18日死去。85歳。著書『野僧のくりごと』。
寺本哲栄 生没年不詳 1983-1995 自坊は大阪竹林寺。1983年(昭和58年)12月1日から1995年(平成7年)まで知恩院執事長。著書『徹定上人』。
牧達雄 1924-2005 1995-2003 大樹寺62世。1924年(大正13年)生。仏教専門学校卒。大正大学卒。宗派社会局長、教学局長を歴任。1995年(平成7年)から2003年(平成15年)12月まで知恩院執事長。資産運用をめぐり退任に追い込まれた。2005年(平成17年)4月2日死去。
吉田孝導 生没年不詳 2004-2005 自坊は武生大宝寺。2004年(平成16年)から2005年(平成17年)2月8日まで知恩院執事長。
佐藤諦学 ?-2016 2005-2010 自坊は山科福応寺。龍谷大学卒。東山学園事務局長、京都教区長、近畿教化センター長、知恩院顧問会副会長など歴任。2005年(平成17年)2月24日から2010年(平成22年)4月26日まで知恩院執事長。2016年(平成28年)2月11日死去。92歳。
北川一有 1925- 2010-2019 自坊は東京長寿院。1925年(大正14年)生。2010年(平成22年)5月14日、知恩院執事長。
井桁雄弘 1934- 2019-2023予定 自坊は大阪住吉大円寺。1934年(昭和9年)生。全日本仏教会理事や大阪府仏教会会長などを歴任。2015年(平成27年)知恩院顧問会会長。2019年(令和1年)2月1日知恩院執事長。

顧問会

知恩院の諮問機関。予算案・決算、山規山令を審議する。 会長

  • 八木善祐
  • 秦隆真
  • 稲田稔界
  • 山下法文
  • 北川一有
  • 井桁雄弘
  • 木全一乗
  • 木村弘文

画像

参考文献

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%9F%A5%E6%81%A9%E9%99%A2」より作成

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