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石淵寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年7月20日 (土)
石淵寺(いわぶちでら)は、平城京東郊にあったとされる古代寺院。勤操が創建したという。法華八講の発祥地とされる。大和・白毫寺や帯解寺や奈良市鹿野園町の梵福寺(廃絶)はその一院の後身ともいう。岩淵寺。
歴史
創建不詳。延暦12年(793)、勤操が法華経を書写し、8日にわたり講じた。これが各宗派で行われる法華八講の起源という。寛弘7年(1010)、「法華八講縁起」成立。鎌倉時代後期まで存続したと考えられている。廃絶になる事件については江戸時代の伝承があり、天地院と争いが生じて、合戦となり、互いに火を放って両寺とも焼失し、廃絶になったという(『和州旧跡幽考』)。あるいは伴寺と合戦したともいう(『奈良坊目拙解』)。
跡地は白毫寺周辺とみられるが、確定していない。新薬師寺の十二神将は石淵寺から遷されたと伝わる。 (日本歴史地名大系)