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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

石淵寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年7月20日 (土)

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石淵寺(いわぶちでら)は、平城京東郊にあったとされる古代寺院勤操が創建したという。法華八講の発祥地とされる。大和・白毫寺帯解寺や奈良市鹿野園町の梵福寺(廃絶)はその一院の後身ともいう。岩淵寺

歴史

創建不詳。延暦12年(793)、勤操が法華経を書写し、8日にわたり講じた。これが各宗派で行われる法華八講の起源という。寛弘7年(1010)、「法華八講縁起」成立。鎌倉時代後期まで存続したと考えられている。廃絶になる事件については江戸時代の伝承があり、天地院と争いが生じて、合戦となり、互いに火を放って両寺とも焼失し、廃絶になったという(『和州旧跡幽考』)。あるいは伴寺と合戦したともいう(『奈良坊目拙解』)。

跡地は白毫寺周辺とみられるが、確定していない。新薬師寺の十二神将は石淵寺から遷されたと伝わる。 (日本歴史地名大系)

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