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社稷壇 (李氏朝鮮)

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2013年8月24日 (土)

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李氏朝鮮の社稷壇

太祖3年、高麗の制度にならって、社稷壇を設けた。社稷署が管轄した。 東方の国社、西方の国稷から構成されている。

光武元年、大韓帝国の成立とともに、国社を太社、国稷を太稷と改称した。 隆熙2年7月20日、政府の管轄となった。

1922年(大正11年)11月、京城府に移管されて公園となった。

国社には土地の神を祀り、后土氏を配祀する。 国稷には穀物の神を祀り、后稷氏を配祀する。

祭祀は、仲春、仲秋、上戌、及臘の毎年四回行われた。 祈穀祭、祈雨祭もしばしば行われた。

(『京城府史』)

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