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久遠寺積善坊
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年1月25日 (土)
(積善坊から転送)
久遠寺積善坊は山梨県南巨摩郡身延町身延にある日蓮宗寺院。久遠寺の子院。祈祷僧を養成する荒行堂(加行所)があった。身延山も参照。日蓮宗久遠寺派。積善房。
歴史
七面山の信仰の広まりと共に山中修行する僧侶が登場。七面山に近い身延山東谷に修行僧が集まった。積善房もその一つだった。 江戸時代の積善房10世の仙寿院日閑を中興し、祈祷法を整備。楊枝加持を始めた。 1819年(文政2年)、蓮華谷に移転。1870年(明治3年)火災で焼失。加行所は休止となった。
組織
歴代
- 仙応坊日慧():七面山で3000日の参籠修行した。「荒行の祖」と呼ばれた。
- 10世仙寿院日閑(1575-1672):積善房中興。仙応坊日慧の弟子。楊枝加持を始める。七面山に100日籠もって修行。深夜、唱題の最中に宝前花瓶の枝が頭上に飛来したのを神賜と受け止め、満行ののち、神枝で加持することとしたという。
- 14世満行院日順(?-1716):一円日脱の命で中秋の名月にかかった暗雲を木剣で切り払い身延山の名月供養会を成就させたという。雲切満行院と通称された。弟子に法性日諦や遠寿院日久がいる。
- 22世普門院日憲(1760-1829):積善房流第二の中興。1814年(文化11年)、滝に1000日、川に1000日、井戸に1000日の3000日の荒行を満行した。
- 24日運
- 26世現明院日等
- 27世妙真院日誠