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瀧安寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年3月1日 (月)
瀧安寺(りゅうあんじ)は、大阪府箕面市にある弁才天を祀る本山派の修験寺院。役小角が創建した。岩本坊があった。また山上には役小角が昇天した天上ケ岳がある。吉祥院、箕面寺。山号は箕面山。
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歴史
役小角受法の聖地
「箕面の滝」が霊場としての起源とみられる。 『元亨釈書』などによると、658年(斉明4年)、役小角が弁財天の導きで、箕面の滝に至り、霊窟で弥勒菩薩から秘法を授けられたという。 その報恩として弁財天を祭り、最初は箕面寺と称した。 流罪から許された役小角は701年(大宝1年)6月7日、箕面の天上ケ岳から昇天したとされる。
古代・中世
『扶桑略記』には962年(応和2年)、千観が「蓑尾山観音院」で『法華三宗相対抄』を著したとの記述がある。 『法華験記』には比叡山の永慶という僧が箕面の滝に籠って法華経を唱え、龍樹菩薩の示現を感得したという。 1225年(嘉禄1年)、創建以来の火災に見舞われた。 1238年(暦仁1年)、鎌倉将軍藤原頼経が参詣。伽藍再建の落慶法要を行ったらしい。 南北朝時代には南朝に付く。瀧安寺の名は後醍醐天皇から授けられたという。 1431年(永享3年)、火災。
近世の興隆
1596年(慶長1年)の伏見地震で、被災。 1603年(慶長8年)、覚玄が再興。この時、寺地を箕面の滝のそばから現在地に移した。 1627年(寛永4年)、京都御所の門を山門として移築。 後水尾天皇の帰依で1656年(明暦2年)造営し、 聖護院門跡の道晃法親王が落慶法要の導師を務めた。 1693年(元禄6年)、役小角1000年忌を前に現在の伽藍の多くが整備された。
富籤が盛んとなった。
1799年(寛政11年)、光格天皇は役小角に神変大菩薩の号を贈ったが同年3月、瀧安寺で役小角1100年忌を勅会として聖護院門跡を導師に執行。 2000年(平成12年)7月7日、1300年忌。
(『日本歴史地名大系』ほか)
伽藍
- 本堂:弁財天を祀る。神社建築様式。
- 観音堂:本地堂とも。
- 行者堂:開山堂とも。
- 大黒堂:
- 大護摩道場:
- 箕面大滝:役小角が龍樹菩薩から伝授を受けた地とされる。
- 天上ケ岳:
子院
- 岩本坊:瀧安寺別当。本坊。
- 宝積坊:
- 真満坊:1907年4月廃絶。
- 千林坊:1907年4月廃絶。
資料
古典籍
- 『箕面寺秘密縁起』[1]